【 春先の邂逅 】



『……以上で私の講義の説明を終わる。では、何か質問があるものは?』


 キーンコーンカーンコーン……♪
   キーンコーンカーンコーン……♪


 その言葉を合図に、というわけでは無いのだが講義室内にチャイムの音が鳴り響いた。
 途端、大人しく座っていた生徒たちがザワリと賑やかさを増す。全てが全て、先日の入学式経てこの大学の新一年生となった若者たちだ。ついさっきまで、これから一年間の間に行われる講義内容を説明する…というオリエンテーションに神妙に参加していた所だったのである。

 響き渡る鐘の音と収まらぬざわめきに、壇上でマイクを片手に説明をしていた眼鏡に白衣の中年は、一度スピーカーを見上げれば肩を竦める仕草を一つ。眼鏡を直しながら再びマイクを構えた。告げる。


『…この様子だと質問を聞くのは難しそうだ。もしも何か聞きたい事がある者は、私の研究室までくる様に』


 それだけを早口に告げれば、「解散」の言葉で新入生オリエンテーションの時間は幕を閉じた。



※  ※  ※  ※  ※



「えぇと……この階、でしょうか…」


 どこか無機質な雰囲気を感じさせる廊下のただ中で周囲を見回しつつ、氷牙は独り言を呟いた。
 某大学は生物生命学部の校舎内である。無駄に広くて広大な敷地のこれまた大きな建物の中という事で、軽く迷子になりかけながら手にしたパンフレットに目を落とす。広げられたそのページには簡易構内図が印刷されていた。それを見ながらココまで来たのだが……。


「九十九先生の研究室は、この辺りだったと思いますが……」


 先程のオリエンテーションは最後の講義説明になった『生物遺伝学』。あの場の説明だけではどうもわからない部分があった事から早速質問のために言われた通り研究室を探して歩き回っている訳だが。今一つ部屋数が多すぎる上に、部屋によってはこれといって表札も何も出ていない所もある為、どれが目的の研究室だかわからずに氷牙は途方に暮れていた。
 せめて誰か人が他にいれば良いものを、こんなタイミングに限って人影は廊下に皆無である。
 どうしたものか。さすがに対応に困っていると…。


 ガチャリ。


 どこかの部屋の戸が開く音がする。
 慌てて周囲を見回すと、右の廊下の突き当たりに人の姿があった。駆け寄る。

 その後ろ姿に目を見開いた。
 白衣こそ来ていないものの、ちょうど今探していた教授その人だったからだ。
 走って弾んだ息を整えつつ声を投げた。


「九十九先生」


 声は静かな廊下にやけに響いた。
 その事に少し気恥ずかしさを感じていると、教授がゆっくりと振り返る。先程までしていた眼鏡はない。もしかして伊達眼鏡か何かなのだろうかなどとこっそり思う氷牙の姿を、九十九は目をパチクリと見開いて見つめると不思議そうな顔をした。


「おや? 君は?」
「…? …あなたの生徒ですけど」


 先程のオリエンテーションの際、一番最前列に座っていた氷牙である。もちろん九十九とはばっちり目もあったし、休憩時間中に軽く挨拶程度だが言葉を交わしたりもした。さすがに見覚えぐらいあってもおかしくなさそうなのだが。
怪訝げな氷牙の表情に気付いたのだろう、九十九が問う。


「ん……えぇと、君の名前は…」
「氷牙です。碓氷氷牙…と言います」
「そうか…碓氷さん。君が探している『九十九先生』だが、もしかして白衣と眼鏡をしていなかったかな?」
「は? ……え、えぇ…してました」


 パンフレットにある教授、という呼称からして年輩の講師なのかと思っていたのだが。しかし一般的な教授職にある教師の年齢としては幾分若い人物だった。その割に眼鏡と白衣が妙な貫禄を醸し出していた事も思い出す。それらの諸々を頭に置いて眼前の人物を見れば、なんだかちょっと違う気がしてきた。
 もしかして別人だろうか。そんな疑惑を胸に九十九を見れば彼は小さく微苦笑した様だった。


「…ああ。それは弟の終だね。私は双子の兄の始だよ」
「!!?」


 兄がいる、などという話は初耳である。さすがに驚きに目を見開いた。
 そう言われてマジマジと良く見れば、確かに目付きだとか表情だとかが微妙に違う気がする。


「お兄、さん……ですか。初耳です…」
「ははは、今年入学の娘かな? だったら知らないのも仕方ないよ」


 私と弟はそれなりにこの大学じゃ有名なんだけどね、と九十九(兄)は笑った。
 朗らかで大らかな雰囲気を感じさせる笑顔である。


「それに、私はわざわざそんな家族構成まで生徒に話さないからね」
「!?」


 と、その隣にひょこりと同じ顔が生えた。
 いや、生えたというのは大袈裟か。ともかく九十九(兄)と同じ顔がその肩口から覗き込んで来たのだ。
 さすがにギョッとしたのは言うまでもないだろう。それほどまでに衝撃的なワンシーンだった。


(そ、そっくり!?)


 思わず絶句している氷牙を横に、ほぼ同じ顔の二人は会話を交わす。しかも今気付いたが、そっくりなのは顔だけではなかった。体格も声も口調すらも良く似ていたのだ。双子というものは似ているものとは聞くがまさかコレほどとは。一卵生双生児という奴だろうか…と、思わず唸る氷牙。しかし二人は気にした風もない。


「やあ終、君の生徒さんだよ」
「始が適当に相手してくれたら良かったのに」
「何を言ってるんだい。それはお前の職務怠慢にしかならないよ。私が許可するはずが無いだろう?」
「それは残念な事だねぇ……で、えぇと。君は……嗚呼、あの時の女生徒か。確か、何といったか……」
「碓氷氷牙さん、だろう。…まったく、お前は生徒の名前ぐらいしっかり覚えなさい」
「今日が初見だし、名前を聞いたのも少し前が初なのだから、忘れたぐらいどうという事も無いだろうに」
「去年の冬、そういって自分の講義を受けている生徒の名前を素で忘れ去っていたのはドコの誰だったろうね?」
「………兄上は嫌な事ばかり覚えているねぇ」


 仲が良いのだろうか。それとも悪いのだろうか。
 今一つ判別が付き難い言葉の応酬に反応に困りつつも、氷牙は謝罪の言葉を投げる。


「…すみません、人違いしてしまい…」
「いやいや気にしてないよ。しょうがないさ」


 人の良い笑顔でそういう九十九(兄)と逆に、九十九(弟)はどこか意地の悪い笑みだ。


「そうだね。勘違いしたままだと面白いし」
「終」
「冗談さ」
(わからない…)


 冗談と言われても。どう聞いても本気の声音にしか聞こえなかったのだが。早くも曲者っぷりを全開にのぞかせる九十九(弟)に、内心こっそり不安を感じる。大丈夫だろうか、これから一年。少なくともまるまる一年間世話にならないといけない講義があるのだが。
 そんな心の声がもちろん聞こえる訳もなく、九十九(兄)は不安げな氷牙の気持ちとは裏腹ににこやかな笑顔で告げた。


「私は九十九始だよ。現代考古学の講義をもし君がとるのなら、また会う機会もあるのかもね」
「後はサバイバル部の顧問ぐらいだろうな、兄に会えるのは」
「そう、ですか……」


 現代考古学。つまり兄側は同じ教授ながら考古学者ということか。生物工学を専攻するという弟とはまったく違うジャンルと言うことに不思議なものを感じる。双子ならば得意科目だとかそういう所も似通うものかと思っていたが、以外とそうでも無いらしい。
 というかサバイバル部って何なんだ。一体。

 そんな感じで未知の単語に首を傾げる氷牙を九十九(兄)は不思議そうに見ていたが、結局気にすることはやめたらしい。ひらりと手を振ると踵を返す。


「じゃあ、私はそろそろ失礼するよ」


 そのまま立ち去るかと思いきや、立ち止まり振り返った。


「あ、終。今日、喫茶店に寄って帰るから遅くなるよ」
「嗚呼、いつものあの店かい? はいはい、了解だよ。どうせならあの店特製の焙煎豆も一袋買って帰ってほしいものだけれど」
「わかったよ。じゃあ今日のお土産はそれで」


 じゃあね、と。
 今度こそ立ち去る始。その背を見送る氷牙に、終は問う。


「そういえば私に何か用なのかな?」
「あぁ、あの、さっきの講義説明なんですが………」


 氷牙は当初の目的である疑問点を質問した。それに対して終は簡潔に答える。
 そんな事がひとしきり続いた後。疑問を解消してスッキリした顔の氷牙に、終は悪戯に笑って囁いた。


「ふふ……そういえば碓氷くん」
「はい? 何でしょう。終先生」


 九十九先生では兄だか弟だか判別がややこしい。
 だからどうせ呼ぶなら私は『先生』、兄は『教授』と呼びなさい。

 そんな終の言葉を忠実に守る氷牙は首を傾げた。
 そんな彼女にクスクスと笑いつつ終は続ける。


「さっき兄が向かうと言っていた喫茶店だがね。すっかり常連なんだそうだが、店名が『喫茶碓氷』というのだそうだ。名前からして君の関係者の店かな?」
「えっ!!??」


 関係者どころじゃない。自分の兄の店じゃないか。
 思わぬ発言に、氷牙が驚かされたのは言うまでもないことだった。
別場所でちらっとかいてたSS。
こういう出逢い方をしたかもしれないし、してないかもしれない。