―― 宙の果てとは、何処に在るのか
    私はただ、それだけを知りたいのだ

        嘗て失われし、母なる星へ至る航路
         其れを求めるのもまた、未知への探求に他なら無い ――

          
探検家フォックス・テイル著「失われし航路」より抜粋





【 宙船 : ソラフネ 〜序章〜 】





 何でこんな目に遭う羽目になってるんだ…と、たとえ口にしたとしてもバチは当たるまい。少なくとも、そう俺には思える状況だった。もっとも、そんな事が言える余裕が無いのも、身をもって思い知っている真っ最中な訳なんだが。

 今や、自分の命は風前の灯と言うのが、一番手っ取り早いのかもしれない。
 碌に開けていられない視界の端に映る壁面ディスプレイの向こうでは、名も知らぬ恒星達がぐるんぐるんと派手に回転を繰り返している。その様は昔、子供の頃に親父に見せてもらった夜空の記録映像に似ている。そう、特にそれぞれの恒星の輝きがまるで一筋の線の様に弧を描いている様子は、地上から南の空を長時間かけて撮影したものにそっくりだ。
 そこまでの無茶苦茶な旋回飛行を行っている真っ最中だっていうのに、この艇の艦橋内に座る俺自身には髪の毛ひとつそよぐ程度の圧力すらかからない。最新鋭の慣性制御能力持ちの艇は違うものだ、と現実逃避したがっている俺の思考の何処かがのんきな呟きをもらす。勿論、それじゃ駄目なのも良く分かっているのは言うまでも無い。


「おいおいおい、これ、本当に大丈夫なんだろうな!?  無茶苦茶な弾幕に突っ込んでったかと思えば、今度は曲芸飛行とか……色々非常識なのにも程があるだろうが!?」

「大丈夫大丈夫、何時もの事だから」


 至極真っ当な俺の質問に対して、まるで転んで膝を擦り剥いた子供にこんな怪我は舐めれば治ると諭すようなのんびりとした声が返ってきた。首を捻って振り返れば、後方の席で穏やかに微笑む青年がゆっくりとした手付きで慣れた様に現在の艦艇の状況を伝える仮想ディスプレイを、時折突付きながら眺めている。酷く中性的な顔立ちに浮かぶのは、焦りでも恐れでもなく、ただただマイペースな微笑だ。
 はっきり言って今はもっと緊迫した状況だろうに、万年常春の日差しの下に居るかのようなその表情は何なのやら。もっと緊張するとか何だとか、こう、あるだろうが?  それとも、そう思う俺が可笑しいのか?  …勿論、悩むだけ無駄でありこれもまた現実逃避の一種なのかもしれない。

 思考を再び現実に――無理やり、嫌々ながらもなのは仕方ない話だ――引き戻し、眼前で定期的に点滅する仮想ディスプレイを確認する。映っているのはこの艇を中心とした半径一光年単位での索敵情報なのだが、そこには見た事を後悔しかねない程の敵機を示す光点が、それこそ無数に乱舞している。旧世紀に存在したらしい星座早見盤に印刷された星の数よりはマシだが、それでも結構な数だ。ザッと見ても、千は軽い。
 
 
「……これが何時もの事なのかよ」

「そう、何時もの事」


 優雅に手を翻せば宙にたちまち現れた仮想パネルを、ポチポチポチ、と酷くゆっくりとした手付きで打ち込みながら頷いてみせる相手は、それはもう見事な笑顔で俺を見る。時と場合さえ異なれば、それは心が落ち着く微笑とも取れるのだろうが……少なくとも今の俺の精神状態からすると、ただ苛立ちを覚えさせるだけに過ぎないものだ。別に俺の心が狭いんじゃなく、そんな余裕が無いからなんだがな。
 
 
「この辺りは、宇宙海賊の出没率が高いからね。特に、ほら……直ぐそこに見えるだろう?  惑星ヘイリオス近辺は、この宙域じゃ一番の大所帯になるガートン一家が縄張りとしてる所だし」


 いや、ちょっと待て。ガートン一家…だと?  ガートン一家といえば、金に宝石、美術品は勿論の事、レアメタルの様な鉱石から、売れるならば人身売買まで行うかなりのワルだと聞いた事があるんだが。俺は。噂が確かなら、重装備の豪華客船が一夜にして丸裸にされたとか、その被害総額は一億Gを軽く上回るとか…やれやれ、何処までが噂の本体で何処までが尾鰭背鰭なのやらまったく判断が出来ないのだが、とりあえずそのぐらいに有名な存在だという事だ。
 もしかして今現在目の前にいる敵機全てが、あの星間連邦の奴等が百万Gもの賞金を賭けて追っているガートン一家の奴等だというのか?  現実味がない……まるで、夢物語じゃないか。


『ははは。夢物語なら、こんな面倒な飛行はしなくて済むのですけどねぇ』


 そんな当たり前の事ぐらい分かってるっての。前触れも無く虚空に展開された仮想ディスプレイのその中で嫌味たらたらに肩を竦めてみせる慇懃無礼な声の主に、軽く睨みを入れておく。映っているのは整った顔立ちをした背の高い男で、睨み付けても何のその。気にした素振りも無く眼鏡を指先で軽く持ち上げる様が意外と格好良く見えたりするのだから、更に腹立たしくもなる俺の気持ちを誰か理解してはくれないだろうか。これで生身の人間だったら腹立ちついでに一発殴ってやる事も出来るが、残念ながらこれはホログラフィ――人工の幻だ。本体は艇の制御中枢、つまりは機械であり、殴った日には俺の手が複雑骨折するか艇の制御が利かなくなって星の海でご臨終するのが関の山だろう。
 いや、今の場合はガートン一家に引っ捕まって人買いに売られる……という何とも物騒な選択肢も一つ追加出来るのか。激しく遠慮したいものだが。


「私としても、それは遠慮したいものだな」


 硬化ガラスを隔てた直ぐ向こうは戦場さながら(というか戦場そのもの、か)だというのに、何がおかしいのか。小さな笑いを含ませる声に一段高い席を見上げれば、寛いだ様子で足を組む女の姿が覗く。長い黒髪を弄び戦況を眺めるその外見は、まだまだ年若い妙齢の女性なのだが…その実、彼女こそがこの中型戦艦クラスはある竜帝【ドラグーン】級星間航行艇『月読【ツクヨミ】』の艦長なのだから、世の女性は随分と強くなったものだと感心するしかない。

 昨今、男女平等社会ということで女性艦長というのは増えてきたとはいえ、まだまだ珍しいものだ。実際、俺だって見るのは彼女が初なのだからそうそうそこ等に居るもんじゃない。だが、普通は惑星間の運搬船だの簡単な観光艇だの程度で活躍する程度であり、それだって凄い凄いと持てはやされているものだ。間違っても軍艦レベルの艇の艦長なんざ、居ない。全宇宙探してもこの女しか居ないんじゃなかろうか?  か弱く可愛らしい女性なんていうのは、最早物語の中だけの存在になったのかもしれないな…とはいえ、そんな事を口走った日には後が怖いので、内心で呟くだけにしておく。
 
 
『……では、如何なさいますか?  我が主【マイロード】。現時点で、全ての射撃と砲撃を斥力場による防護シールドと旋回回避でしのいでは居ますが、長くは持ちません。弾幕も厚くなってきていますから、決定的なダメージを受けるのは時間の問題かと思われますが』

「ふむ、そうだな……」


 俺にぞんざいな言葉を投げる時とは打って変わって、恭しい態度で指示を請う姿は、ご主人様にだけは従順な賢犬…といった感じだな。だが、そんな光景をのんびり眺めている余裕はこちらにはない筈だ。実際、こうしている最中にも相手からの攻撃は嫌というほど激しくなってきているのは、見ていれば嫌でも分かる。こっちも回避ばかりなものだから、数が増えることはあっても減ることはないという訳で、最悪の悪循環だ。どうやってこの状況を打破しようってんだ?  俺ならもうお手上げだね。
 思わずこぼれるため息を隠すことなく吐き出して、再び策敵情報を表示する仮想ディスプレイに向き直った俺は、何の因果か…非常に嫌なものを目にする事になった。

 ……六時の方向から、敵増援確認…何てこったい。


「なかなかこっちが思う様になってくれないから、痺れを切らせたかな?」

『後方より、高エネルギー反応感知。時間経過と共に上昇中……どうやら、デカイのを一発お見舞いして下さる様ですよ。臨界は十五秒後、といった所でしょうか?』


 そんなのんきに言ってる場合じゃないだろ!?  …何とかしてくれよ。俺は死ぬ時はちゃんとベッドの上で、眠る様にご臨終…ってのが一番の望みなんだ。ろくでも無い海賊連中にやられて、このまま宇宙の藻屑になるなんて頼まれても御免だぜ?


「それは此方も同じ、だ。……各員、戦闘態勢。持ち場につけ。軽く小突き回して撹乱させた後、亜空間ドライブを使用。空間潜行【ダイブ】でこの場を離脱する」

『了解しました。……戦闘フェイズへのシークエンス移行まで、後、五秒。四、三、二、一…フェイズ完全移行を開始。精霊機関出力五十%まで上昇。半自立モードで第三級戦術式機関【フリージア】の起動を確認。何時でも使えますよ』

「空間潜行【ダイブ】のタイミングは私が指示を出す。それまで、エネルギー充填を怠るな」

『承知致しました』


 着々と戦闘態勢が整う艦内で、俺の目の前にもたくさんのウィンドウだのパネルだのが展開していく。…どうやら客分にすら手伝わせるつもり満々らしい。「働かざる者は何とやら、ですよ」だの無駄口を叩くミニサイズのウィンドウが開きかけたので、問答無用で閉じた上で一度だけ盛大にため息をつく。まぁこうなったら乗りかけた舟、というか一蓮托生…それとも、毒を食らわば皿までか?  何にしろ巻き込まれてしまったからには、覚悟を決めるしかないだろう。


「本当、何でこんな目に遭ってんだ・・・俺」


 ささやかなぼやきに返ってくる「日頃の行いじゃないですか?」という小憎らしい返答を華麗にスルーしながら、俺は、今から一ヶ月前になるこいつ等との出会いを、思い出していた――…
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