42日目

 黄金の海の底はさながら戦場の様だった。







 闇色の海域に入り込んだ多くの者達を迎え撃った、アルシエルを名乗る少年。黒い太陽、と自らを称するその存在が見た目通りの無害な存在だと信じた者は誰一人居なかった事だろう。封印を解け、と告げて襲いかかってきた相手を迎撃すべく皆が力を振り絞ったが、結果は惨敗であった。

 その中には勿論、エールステゥやオルキヌス、黄金のランプ達も含まれている。皆がそれぞれに負傷を抱え、その場から撤退した。そのまま戦い続けても、現状はどうにも出来ないことを誰もが察していたからだろう。
 仕切り直しが必要だった。





※  ※  ※  ※  ※





「まさか、こっちの力を奪う様な奴が出てくるとはね……」


 いたた、と包帯を巻いた腕を庇いつつオルキヌスはイワシのオイル焼きを口に運んだ。今度はアチチ、と慌てて水を飲んでいるその横で同じ料理に手を伸ばすランプの魔神がため息混じりに呟く。


『我らも強くはなっているが、あれ程の大人数の力を吸った者相手に……となるとなかなかに難儀なものだぞ』

「本当にねぇ……」


 美味しくできたな、と思いつつもエールステゥはイワシを頬張りながら苦笑する。
 実際参った状態なのは確かだ。自らをスキルストーンの力で強化し相手を倒してきたわけだが、その強化が仇となる相手、というのは正直想定外ではあった。既に、一部の術技は使用するだけで相手の思う壺になるので要注意……といった感じの告知まで回ってきている。あの敵に対しては一つのチームだけでなく、複数のチームで対応しなければいけないのは先日の戦いでも嫌と言うほどに理解しているのだが……実際、どう戦うべきなのかはそれぞれに悩んでいる事だろう。

 どうしたものやら、と考えながらもエールステゥは欠伸をかみ殺した。
 最近は眠りが浅くて軽く気怠い。身体自体はしっかりと休めているし疲労も取れている筈なのだが。


「……大丈夫? エルゥさん」


 かけられた声にエールステゥがハッとして視線を向ければ、オルキヌスが心配げな眼差しを向けてくる。


「何だか最近、眠そうなこと多いよね」

『何だ、汝も契約者の様に上手く寝れていないのか?』


 最近、夢見が悪いというオルキヌスにランプの先をチラチラ向けながら魔神は笑う。
 その声には呆れの色が強い。


『また遺跡の調査報告書などまとめるのに、夜更かしでもしておるのではなかろうな?』

「え、そうなの? エルゥさん、それは駄目だって言ったじゃん」

「ち、ちち、違うよ!? そういうのじゃないからね!?」


 遺跡関係となると無茶をやるんだから、と言わんばかりの雰囲気を感じて慌てて弁明するエールステゥ。以前に夜遅くまで遺跡調査のまとめをやっていてうっかり朝寝過ごしたことも実はあった(結構怒られた)ので、疑われるのも当然といえば当然なのだが。しかし、さすがに今回は違う。原因は別にあったからだ。


「ちょっと私も、夢見が悪いだけなのよ!?」

「夢見……? エルゥさんも?」

『汝もまた夢見の悪さで眠りが浅い、とは。そんなに恐ろしい夢なのか』

「うーん……そういうの、恐ろしいとかではなくて」

「なくて?」

「こう、修行的な」

『……修行? 夢でか?』

「う、うん……」


 怪訝げな一人と一柱だが、これは冗談でも嘘でもない。実際、エールステゥは夢の中で連日修行に明け暮れる日々をおくっていたからだ。
 切っ掛けは、あの白の空間の夢を改めて見てからである。あれから目を瞑り眠りに入ると、必ずあの場所へ訪れる夢を見るようになった。そこでは毎回あの不思議な番人(名を聞いては見たが、名乗られた名前は何故か理解できる言葉ではなかった)が待っていて、エールステゥに修行を課すのである。それをこなして終わると眠気が再び訪れ、そして気がつけば目が覚める……というのが最近のサイクルで、おかげさまで寝ても寝た気がせずこうして欠伸をかみ殺す羽目となっていた訳だった。


「それって、何の修行なの? ただの夢幻って感じでも無いんだよね?」


 あるいは妄想の類とか、とオルキヌスが不思議そうに問う。まあ、そう思うのも当然だろう。エールステゥ自身も、ついに自分が疲れすぎて変な夢を見始めたのだろうかと最初は疑ったものだった。しかし、それにしてはしっかりと夢の記憶は残っているし、会話も普通に成り立っているし、その修行の効果も明確に出ていたりするし……という理由で、ただの夢幻と断言し否定しきれないのである。


「えっとね……この『眼』の扱い方の修行、とでも言えば良いのかな? 前に話したよね、色々なモノが最近、見える様になったって。それの訓練に近いかなって思ってる。……これが、ただの私の夢の中での妄想、っていうのは、多分だけど違うね。確かに知性のある存在と言葉を交わしてるって感覚ばかりが残ってるもの。それに実際、この変な夢を見るようになってからは『眼』の力を使ってもあまり疲れなくなったし」

『夢を通じて何者かが、汝に干渉をしている……という状態な訳か』

「そうだね。多分、それが一番近いのかな」

「でも……何でまたエルゥさんの夢にそんな存在が出てきて、修行をさせる訳?」


 もっともなオルキヌスの疑問に少し考え込んで、エールステゥは口を開いた。


「正直、私にもわからない。理由を尋ねても明確な答えを貰えた訳じゃないし。……ただ、」

「ただ?」

「……どうも、私に縁が在るみたい。私は知らないような、何らかの繋がりが」

「縁、かぁ」

『明らかに異質な存在との縁とはまた、汝も数奇な人生を送っておるのだな』

「そ、そんな変な生き方はしてないんだけどなぁ……」


 苦い笑みと共に呻くしかできない。実際、冒険者としての活動の中で変わった人外と関わりがない訳でもないので否定しきれない所なのだが。それでも、物心付いてから今までを思い出してもあんな謎めいた存在と関わりを持った覚えがないのは確かだった。
 ともあれ、視線を黄金のランプからそらしてコホンと咳払いをしつつエールステゥは言う。


「そこまで心配しなくても良いんだよ。実際、身体はしっかり休められてるみたいだから」

「そう? それなら良いんだけどさ」

「そういうオルキ君こそ、気をつけてね。夢見の悪い原因、そっちはよくわからない訳だし」

『そうだぞ、契約者。……まあ、夢見を今すぐ解消する事も我ならば出来ぬ事も無い訳だが……』

「それは遠慮しとくよランプさん。……心配はありがと、エルゥさん。こっちも気をつける」


 とりあえずはアルシエルとの再戦が最優先。そう気合いを入れてオルキヌスがかきこんだイワシの油焼きはまだ熱くて、彼に悲鳴をあげさせるには充分だったのは……また別のお話である。