前日談


 ある日のことだ。
 とある宿で、かかる声に振り返る女の姿があった。

 金の髪に秀麗な顔立ち。荒くれ者の姿もチラホラ見受けられる宿の中では多少異質に見えなくもないその姿は控えめに言っても目立つものだ。それでもそのスラリとした身体には、艶やかなドレス等ではなくいっそ無骨といえる様な武具や防具がしっかりと着込まれていてただの女ではないことが傍目にも判ることだろう。
 特に目立つのはその両の金の瞳だろうか。色合いもまず珍しいことは言うまでもないが、その左目は人のモノにしては少々異質な形の瞳孔と輝きが見受けられる。

 その視線の先に居たのはカウンターでグラスを磨いていた中年の男である。生え際が後退し始め肌の領域が広がる頭頂を最近とみに気にしていると噂の彼は、この冒険者と俗に言われる何でも屋達を抱える宿『黄昏の梟亭』の店主その人だ。彼がグラスを磨く手を留めて自分を手招いている事に気づき、女は首を傾げた。


「親父さん、どうしたの?」

「いや、何、ちょっとお前さんに伝言があってな」

「……、依頼?」


 女もまた、他の例に漏れず冒険者としてこの宿で住み込みで動いている一人である。一人前と言われる程度のレベルになってまだ期間はそこそこの中堅どころではあるのだが、それなりに最近は顔も広くなったし信頼を寄せられる事も増えてきた。こうして声を掛けられたという事は冒険者としての仕事に関することか、と問えば返るのは重い頷きである。


「嗚呼。お前さんを名指しの依頼でな」

「名指し、とはまた……珍しいね」


 言われ、差し出された手紙に確かに『エールステゥ・ヴルーヒゥル様』との宛名を認めて女は目を瞬く。ひっくり返してみればソコには覚えのない差出人の名前があった。


「……ルカーディア・エル・イズ・オルヌム……親父さんのお知り合い?」

「いや、わしは直接は知らんがね。……が、彼が属しとる組織は知っとる。海洋考古学を主とする賢者の塔から派生した研究機関だ。ほれ、ソコにも書いてるだろう」

「海洋考古学研究機構《アクエリア》……ね」


 差出人の名前の側に書かれた小さな文字を指先でなぞる。顔も広く様々なコネや伝手のある宿の亭主が知っている、という事はそれなりに真っ当な組織だという事だ。とはいえ自分自身に関わりがあったことは一度もない名前だからこそ、名指しの指名には流石に疑問があった。


「何で私に?」

「お前さんは前時代の遺跡関係の依頼を優先して請け負い、相応の成果を上げとる冒険者だからな。個人的にも古代文明に関する造詣も決して浅くはない。そういう経験も買われたんだろうさ。……まあ後は、こういった研究に関わる依頼は余程の事がなければ最終的な儲けが少ない事も多い。あまり普通の冒険者は喜ばん、というのも理由にはあろうがね」


 遺跡探索の護衛にせよ調査にせよ、対価を出すのは研究機関だ。そういう所は総じて運営資金のやりくりに四苦八苦しているのが殆どである。冒険者に依頼した場合の対価も安かったり、或いは成功報酬的な形であまり実入りが良いものが少ないのは実際によくある話だ。
 そういう事情をすべて知った上で、個人的な好奇心も兼ねて依頼を請ける物好きは数が少ない。なるほど、それならば名指しも納得出来るというものである。


「親父さんは、要件はもう確認したの?」

「ザッとはな。特に不審な様子はないし依頼の中身としても普通でしかない。……ただし、少々拘束時間が長くなる上に遠方での仕事になるという辺りが残念な部分ではあるか」


 さてどうする? そんな顔で見つめてくる亭主を見返して、エールステゥは数秒迷った後、頷いた。


「請けるよ。興味が無いわけじゃないからね」



※  ※  ※  ※  ※



 馬車に揺られること五日間。
 聞こえてきた海鳥の声に誘われ、エールステゥは揺れる荷台の中を慎重に歩いて御者席へと歩み寄った。


「わぁ……!」


 視界にまず飛び込んできたのは蒼い海だ。太陽の光を浴びてキラキラと煌く水面には波は少なく大小の船が浮かんでいるのが見える。空もまた海に負けず抜けるような青空で、爽やかな潮風が気持ちいい。思わず瞳を細める。普段根城にしている宿の周辺ではまず感じられないこの開放感は、やはり遠方に来たからこその醍醐味だろう。
 元より田舎生まれ田舎育ちの身に都会は性に合わない。たまにこういう空気も吸っておかないとガチガチになってしまう身体を思えば、今回の依頼はなんだかんだで悪くなかったのかもしれない。

 ……いや、多少例外はあるのだが。


「おー、やっぱ街から離れると視界が開けてイイじゃねぇか。潮の香りなんざ久々だぜ。出向先は小さな港町なんだろ? 旨い食い物があるとイイよな。あと酒と女。コレは外せないぜ」

「……ガル? 遊びに来てるんじゃないんだよ?」


 隣からひょっこりと顔を覗かせてきた相手に、エールステゥは冷たい視線を向ける。しかし、睨まれている当の本人は気にした様子もなくケラケラと笑った。


「わぁってるっつーの! お前の仕事の邪魔はしねぇって約束しただろうが」


 黒と紫のザンバラ髪に2メートルはあるだろう高身長。今はその大きな身を小さく縮める様にして乗合馬車の中に収まっている。男の勲章、などとドヤ顔をしていた傷跡の多い筋骨隆々の身体は独特の民族衣装のせいで常に何時も半裸状態で、こうして顔を覗かせてくるとなるとやたら密着する訳なのだが……正直暑苦しくて困る。

 ガルム・ルー・ガルー。
 エールステゥと同じ地方出身の冒険者だ。コレまた同じ様に昔の職は狩人でその関係で色々あって腐れ縁が出来てしまい、こんな遠方の地で共に冒険者をやっている。生まれや育ちや前職の関係上もあって(非常に気に食わない話なのだが)一緒に組んで行動することが多く、今回も暇をしていたガルムが話を聞きつけ同行者となる段取りを勝手に宿の亭主とつけてしまった故の現状である。

 とりあえず、乗合馬車の御者も窮屈そうな顔をし始めたのを横目に認めてエールステゥはガルムを奥へと押し戻した。 自分もまた元の席へと戻りつつぼやく。


「大体、何だってガルがついてくるの……私だけでも平気だって親父さんには言ったのに」

「イイじゃねーか。元々依頼内容にも同行者OKってあったんだろ? それにお前を一人にしとくと心配だ、って親父も言ってたぜ」


 その言葉にむぐ、とエールステゥは黙り込んだ。
 事実だからだ。

 あの依頼書の入った手紙を受け取った後、自室で内容はしっかりと確認しているからこそ反論できない。確かに手紙には『もちろん貴女以外の同行者が居るならばお連れくださっても問題はありません』の一文が載っていたのを覚えている。それに亭主に心配されていたという事実があるならば、ガルムの同行は無碍には出来ない類のものだ。

 大体、冒険者は単独行動はあまりしない。簡単な危険度の少ない雑用ならともかく、何があるかわからない部類のものとなると複数人でチームを組んで動くのが普通である。
 中にはソロ活動している者も居るらしいが、よほどの実力者でなければ早々に命を落としてもおかしくないのがこの業界だ。まだ中堅程度の自分に対してのその配慮もまた仕方がない、とも言える。


 何にせよ不満げな態度はなるべく押さえ込んで、エールステゥは膝を抱えれば瞳を伏せた。ガタガタと揺れる馬車の旅ももうあと少しで終わる。遺跡と海の町アンブロシア。刻一刻と迫る、話だけ聞いたことのある目的地にひっそりと想いを馳せるのであった。



※  ※  ※  ※  ※



「ようこそ。遠路はるばる、よくぞお越しくださいました」

「貴方が、依頼人の?」

「ええ、ルカーディアと申します。以後、宜しくお願いいたしますね」


 言って、穏やかに微笑んで見せるのはくすんだ長い金の髪をゆったりと編み込みローブを着込んだ長身の男性である。銀縁の眼鏡の向こうで深い蒼の瞳が細められた。


「早速で申し訳ありませんが仕事の話と行きましょう。海洋考古学研究機構《アクエリア》がお願いしたいのは海底遺跡の発掘調査の手伝いになります。……といっても、ほぼ安全な箇所は既に研究員が確認済みですからね。冒険者の皆様に調査をお願いするのはまだ危険な箇所、となると思ってくださって間違いはないでしょう」

「つまりは……まだ遺跡が『生きている』場所、って事かな? という事はまだ仕掛けや守護者が全て残っている可能性もある、と。私達はそれらの脅威を全て排除した上で、研究員が出入り可能な安全性を確保する……という感じで間違いはない?」

「さすがエールステゥ様。理解が早くて助かります。……その遺跡が発見されたのは本当につい最近でして。風に煽られて転覆した漁船の乗組員を捜索する中、偶然見つかった遺跡だったので手付かずだったのですよ。なので、未だに多くの機構が稼働中であると思われます。一番水面に近い第一階層は殆ど確認できていますが、その奥は未だに誰一人立ち入ってはおりません」


 頷きながらルカーディアは一枚の羊皮紙を差し出してくる。ソコには簡易的ながら遺跡内の地図が描かれていた。調査済みの部分は全て印があるが、一番深部だろう部分から先は何も書かれていない。この先は未知の領域、ということだろう。


「未調査領域の探索調査、そして障害物や罠などの解除を行った上で、最深部までの安全を確保すること。これが今回の依頼の目的です。前金で200spお払いし、全て完了した上で残金となる1800spをお渡しいたします。勿論、最終的には危険手当はありますしこの地に滞在中にかかる諸経費もコチラがお出ししましょう。……何か質問はありますか?」

「内容自体にそこまで質問は現状はないかな。遺跡に関しての諸々は後で個別に確認したいし。……ただ、此処まで高待遇の調査っていうのも珍しくない?」

「たしかに珍しいかもしれませんね。……しかしどうにも冒険者が集まりませんで。特に、遠方の地になるという事や移動の長さ、更には前金以外は殆どが成功報酬……となるのがネックなのでしょうかね。後はやはり海の中がメインですから、危険度も高いと判断されたのかもしれません。結果、コチラとしては出来る限りの条件アップを目指した訳ですがあまり芳しくなく」

 結局、名指しで遺跡関連依頼を優先して受けてくれる冒険者を幾人か教えてもらい手紙を書いたりもしたらしい。それも数がいるわけではなく、大体は反応は悪かったのだとか。まあ喜び勇んでホイホイこんな僻地に遺跡調査に来る物好きもそうは居ないか、とエールステゥは苦笑した。その物好きの最たるものが自分である、という事実には笑うしかないが。


「にしても、そこまでの資金を良く準備出来たものだね」

「そこはまぁ、色々と交渉して回った結果ですね」


 言って、ニンマリと告げる表情はどこか胡散臭い気配がする。勿論、違法なことは何もしていませんよ……と笑う様子を横目に成る程この人物は只者では無さそうだと認識を新たにしたエールステゥは、必要な書類に契約のサインをした。どこの研究者もこのぐらいの肝が座っていれば資金繰りに苦労することもないだろうに。そんな事を思いながら。



※  ※  ※  ※  ※



 それから、調査と探索漬けの日々が始まった。

 目が覚めれば朝食を食べ身支度を整え港から遺跡に出発。その真上の海上に浮かぶ丸太造りの簡易フロートの上で水中探索用の装備を身に付け、精霊術で呼び出した水の精霊達の補助を受けながら遺跡内に潜り、何か見つけては戻ってきてフロートに回収。水中での作業は嫌でも体力を削るのでニ時間ごとに休憩を入れつつ夕方まで探索を行い、日が落ちる前に町に戻る……そんな具合である。

 たしかにコレはなかなかハードな仕事ではあった。体力だけではない、何より海での身体の動かし方、というものを知らないと余計な力を奪われてしまうのだ。ただ水中に潜り続ける、というのも実は案外難しいものなのである。


「多少は、水の精霊のおかげで楽が出来るけどね」

「呼吸を心配しなくても良いのはありがてぇ話だぜ。泳ぐのも何時もよりやったら速ぇわ、思うとおりに動けるわ……狩人時代もこうだったら海竜狩りも楽だったのによぉ」

「あの土地は魔術なんて無かったんだから無茶言わない」

「判ってるって……でも思っちまうんだよなぁ。お前だってそうだろ?」

「……まあ、たまにはね」

「ココの海はアッチとは随分ちげぇしな」


 休憩時間に温かいお茶を飲みながらエールステゥはため息を付いた。差し向かいに腰掛けたガルムはといえば肩を竦めつつこちらもまたお茶を飲んでいる。その視線もまた、海を眺めているようだった。


 二人共、今でこそ冒険者なんて生業で稼いでいるが今から何年も前にはもっと違う土地で狩人として生きていた。平坦な地上は勿論、雪の吹き荒ぶ山の中や極寒の土地、或いは燃え盛る火山や乾燥しきった砂漠など、その狩猟範囲はとても広かったが中でも特に関わりが深かったのは海だ。
 漁をする村人たちが安全であれるように、危険な生き物は追い払ったり狩って回ったものだった。場合によっては海に出て、水中に潜む竜を狩る……なんて事もあったりした。今思えば懐かしい話だ。

 そのおかげで、水中での身の動かし方には慣れがあるのが幸いと言えるだろう。今回の調査も随分と捗っている。あの土地は魔術や呪術的な技能は何一つ存在しなかった分、今のほうがかなり楽をしているかもしれない。


「そういや遺跡の調査の進み具合はどーなんだよ」

「そうだねぇ……とりあえず元々安全だった第一階層は別として、第二階層、第三階層までは踏破完了、ってところかな」

「見立てではどのぐらい深そうなんだこの遺跡。もう何日も潜ってるぜ? ひぃ、ふぅ、みぃ……大体一週間くらいか? そろそろ底が見えてきてほしいんだがよぉ」


 無遠慮な侵入者用だろうアチコチに仕掛られた無数の罠や今も動くカラクリの守護者達を退け、階層ごとに施されているロックを解除しながらの探索はもうそのくらい時間がたっていた。
 階層が深くなる度にその仕掛の密度が上がる様子からしてもソコソコ大切な遺跡だったことが窺える。その最深部には一体何があるのだろうか、などと思いながらもエールステゥはガルムの問いに応える。


「ココの遺跡は小規模っぽいから、次の第四階層ぐらいが最後じゃないかと思うよ。多分だけれど」


 二人の間に置いてある簡易テーブル(と言っても木箱をひっくり返しただけの雑なシロモノだが)には何枚もの羊皮紙が広げられている。その中の一番上には、現状辿り着けた最も深い階層の地図が描かれていた。


「他の階層は次の階層までに何箇所か入り口があるのに、第三階層から第四階層への入り口は現状ひとつしか見つかっていない。これは多分、それだけ重要な場所だからだと思うからね」

「なるほどな。って事はあと少しか……さすがにそろそろ狭ッ苦しい空間を延々泳ぐのも飽きてきた頃だから助かるぜ」

「そうは言うけど……これからが勝負なんだからね? 気を抜かないでよ」

「任せとけって。大船に乗ったつもりでな」

「泥舟じゃなくて?」


 そりゃヒデェ、と大笑いする声を聞きながらエールステゥはお茶を飲み干し空を見上げた。まだ日は高い。上手く勧めば、今日中に最深部の調査を終わらせられるかもしれないと思えば俄然、やる気もでる。
 今日中に吉報を届けられるように頑張ろう、と意気込めば支度を整え精霊を従えれば再び水中へと飛び込んで行くのだった。