4日目


 呪具、或いは何らかの魔力のこもった品というものにも色々とあるものだ。

 冥王の携えていたと言われる氷の魔剣。
 人の記憶を糸とする不可思議な針。
 意思を持ち主を選ぶ喋る聖剣。
 笛の音で操られるカラクリ仕掛けの蝶。

 今まで、決して短くはない月日が立つ程度に冒険者をしていれば色々なものに遭遇する。だから呪具を発見したとしても驚くことは然程無い。……が、どんな品にだって必ず共通する注意事項はある。使い方を知らずに扱えるものではない、という事だ。
 これを忘れ、つい物珍しいからと下手に扱おうとして痛い目を見てきた冒険者がどれほどいた事だろうか。それほどまでに、呪具とは触れるにも注意をしなくてはいけない代物なのである。

 だが、その認識があったとして、全ての事態を予測できる訳ではないのが現状だった。





「……、……ランプの魔神……まさかこんなものが封じられてるなんてね」


 輝く黄金のランプと、そこから煙のような状態を経て顕現した一対の巨大な腕を前にエールステゥは思わず呻く。
 聞いたことのある話だ。願いの魔神。ランプをこすれば現れ出て、所有者の願いを叶えてくれる存在。確か、聞いたこともない砂漠の地方で語られていた話だ。何らかの寓話集で見知ったのだったか。それとも、吟遊詩人の時たま漏らす遠方の物語だったか。

 何にせよ、ランプに潜む願いを叶える魔神……というのは珍しい話ではなかった。
 少なくとも、おとぎ話としては。

 まさか実物にお目にかかる機会があろうなんて、誰が思うことだろう。


「お……おねーさん……コレ、何?」


 隣で同じように見上げながら表情を引きつらせている少年の問い掛けに、エールステゥは溜息混じりに返す。


「見ての通り。……呪具だったランプに封じられていたか、或いは元から棲みついていた存在……かな。名乗りが確かならば、『願いを叶える魔神』って事なんだろうけど」

「えぇ……」

『えぇ……ではない。何だその顔は。疑っているのか。我は確かに、願いを叶える魔神であるぞ』


 何それ胡散臭い、とでも言いたげな少年の表情にランプの魔神は不満げな様子だ。見れば、虚空に浮かぶ両腕もまるで気難しい人物がするような腕組みをしていたりもする。


『……ともかく、汝は我を眠りの淵から呼び覚ましたのだ。願いを告げよ、ヒトの子』

「いや、眠りから呼び覚ましたって言われても……俺、そんな覚え全然無いんだけど。大体、何で俺なのさ」


 最初こそ驚きや困惑が勝っていたが、少し立てば慣れてきたのか。それとも元々肝が据わっているのか。魔神へと疑問を投げつける少年。対し、魔神はその太い指先(普通の人間の腕どころか胴程の太さがある!)を少年に突きつけつつ、まるで言うことを聞かない子供に言い聞かせる様にゆっくりと告げた。


『汝は我が住処たるランプを擦ったであろう? 其れは我を呼び覚ます契約のサイン。汝は我がランプの所有者であり、我が願いを叶えるべき存在であるという証なのだ』

「契約のサインとか言われても、俺はそんなの知らなかったし……擦った、とか言うのも偶然手が当たっただけっていうか……」

『偶然でも何でも契約は為されたのだ。早く願いを言うが良い』

「願いなんて急に言われても思いつかないって」

『そこを何とか絞り出すのだ。さすれば我が鮮やかに汝が願いを叶えてみせよう』

「……うわぁ、強引だ」

『強引ではない。これは正当な手順を踏んでの事であって、決して押し売りなどではないぞ』


 どう見ても押し売りです、本当にありがとうございました。……そう言いたくなるのを我慢しながら横で傍観者よろしく眺めていたエールステゥは、改めてランプとそこから生えている(というのが一番印象としては正しい気がした)魔神の腕とを見た。
 最初こそ神々しいというか厳かな威厳を感じたものだが、こうして会話が進んでいくと妙に律儀な性格の様である。別に願いなんて思いつかない、と少年が言っているのだしさっさと見限って引っ込んでしまえば良いだろうに、真面目に願いを聞き出そうとしているのだから。まあ、ただ融通がきかないだけなのかもしれないが。


「その、願いを言うのって今すぐ必要な事なの? こう、まさに今、願ってくれないと叶えられません……とか、何か罰則があるとか……」


 願いを言え願いを言え、とそれはもうせっつかれまくっている様子をさすがに見かねてエールステゥは魔神へと声をかけた。所有者と認められた訳でもない赤の他人相手に反応するかどうかは半ば賭けだったが、心配と裏腹ランプがコトコト揺れた。その先端の口部分が、エールステゥの居る方向へとわざわざ向き直っている。律儀だ。


『期間に限りはない。……いや、正確には我が主として契約された者の寿命が続くまでは何時であろうと構わぬ』

「随分と気が長いんだね……」

『ヒトと我では生きる時間が違うのだ。その程度、我からすればほんの一瞬だからな』

「そんなに待ってまで、願い事をなんで叶えてくれるの?」


 一体何の得があるのだろうかとしみじみ思いつつも問えば、魔神はサラリと告げた。


『ヒトの願いは欲望から生まれるもの。欲望という感情は個体差があるとはいえ、強いものとなると底のない沼のように深くそして重いものだ。そして願いを叶える事により、ヒトの抱くその強い欲望を喰らい、我は更なる力を身につける。……それが願いを叶える魔神として在る理由だ』

「今ひとつ良くわかんないんだけど」

『……。……我は汝の欲望を得る、汝は願いを叶える。それが互いにとって益となる。そういう話だ』

「ぁー、成る程ね……ちなみに願いを叶えるって、どんなのでも良い訳?」

『そんな訳があるものか。決まりがあるのだ』


 重々しく告げた魔神の腕が指を鳴らす。
 途端、その手の中には一枚の石版が現れた。何やら表面に細かく刻み込まれている。


「何これ……」

『魔神協会が制定した、願いを叶える十か条だ。読んでみるが良い』

「…………読めないんだけど」

「どれどれ?」


 お手上げ、とばかりに少年が肩を竦める。エールステゥも隣から覗かせて貰ったその石版は、薄いものながら劣化はほぼ無いおかげで刻まれた文字はくっきりと読み取れるぐらいに状態がいい。
 ……が、しかし。堂々と魔神が示してきたその文面は、古代語らしきもので書かれていたのである。読めたほうがおかしい。


「さすがに滅んで殆ど情報のない世界で使われてただろう古代語の解読は厳しいかなぁ……」

『むぅ……手間のかかる……』


 苦虫を噛み潰したような声音で、魔神は石版の文面を読み上げ始めた。



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魔神協会制定 願いを叶える十か条

①叶えられる願いは基本的に3つ。

②願いを叶えきったら、その者から離れなければならない。

③同じ相手の同じ願いを2回以上叶えてはならない。

④生物の営みを大きく変える願いを叶えてはならない。

⑤叶えた願いを取り消すことはできない。違う願いで打ち消すことは可とする。

⑥他者を対象にした願いの場合、願いの対象になる者の意思も尊重せねばならない。

⑦願いを曲解してはならない。

⑧叶えられる願いについての質問は願いの数に含めてはならない。

⑨魔神の意にそぐわない願いは断ってよい。

⑩魔神の力を譲渡してはならない。


以上を破りし者、5000年以下の封印刑に処す。


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『理解したかヒトの子よ』

「理解したとかそういう前に、魔神協会の存在とかこの規約の細かさの方が正直気になるっていうか……」

『ヒトにはヒトの守るべき規律が在るように、我を始めとした魔神にも守らねばならぬ規律があるという事だ。何でも願いを叶えてしまえば、世に不要な混乱を与えかねんからな』

「そこは何となく判らないじゃないけどさぁ」

『そのような些事を気にするでない。早く願いを告げよ』

「いや、でも願いとか急に言われても」

「無いの?」

「無いね」

『……ほんの少しも無いというのか?』

「これっぽっちも無い」


 契約者とされている少年の断言に、あからさまに魔神は落ち込んだ様子だった。ランプ以外は腕しかないのにそれでもはっきり判るほどのアンニョイなオーラが漂っている。少々痛々しい。
 ソレを見かねてエールステゥは声を上げた。


「そ……それじゃあホラ! 願いを思いつくまで一緒に行動してみたら?」

『……む、成る程。我は待つ分には構わぬぞ。時間はたっぷりとあるのだからな』

「えぇ……」


 ぐっ、と親指を立ててみせる魔神(の腕)を見て複雑な顔をする少年。彼へと、エールステゥは近づけば耳元にそっと囁いてやる。


「……まあ、此処は話を合わせて。この魔神さん、言動はともあれ力は確かにスゴイの」

「えっ、……そうなんだ?」

「そうなんだよね、実は」


 神妙な表情で首を縦に振ってみせる。
 願いを叶える魔神。自称、とはいえそう名乗るだけのことは確かなのだ。こうして話しているだけでも、ランプに秘められた力をエールステゥの鋭敏な感覚は感じ取っていた。現状はランプの奥深くにその力は封じ込まれている様だし、実際に発揮されるのは願われた望みを叶える時なのだろうが。


「機嫌を損ねるのもあまり得策とは言えないし……さっきの十か条からするとたちまち害のある存在だ、ってワケじゃないしね。様子を見て、願いを叶えるのかどうするのかは君が決めたら良いと思う」

「願い……かぁ……」


 困った様子で顔を伏せる少年。
 変なランプの魔神に取り憑かれた様なものだ。困るのも当然だろう。


「もしも願いがどうしても浮かばないとか、叶えられないって場合の為に、契約解除の方法とかも探っていけばいいと思うし。何にせよ時間が必要だもの。だから様子見」

「……成る程ね」

「大丈夫」


 エールステゥは微笑みかける。
 大丈夫だ、と安心させるように。


「ここまで関わっちゃったのも何かの縁。……私も君に同行するよ。どちらにせよ、術師でもなさそうな君じゃ解呪の調査は難しいでしょう?」

「えっ、でも……店は大丈夫なのか?」

「私はバイトしてただけで、実際は遺跡探索を依頼された一探索者でしかないよ。君も……多分そのクチでしょう?」


 遺物の鑑定に来るぐらいだ。ただの通りすがりという訳でもあるまい。そんな予測から問えば、コクリと頷きが返ってくる。
 ちょうど一緒に探索を進める仲間を探していたところだ。コレも何かの縁だろう、と笑みを深めればエールステゥは改めて少年を見据えた。


「私は、エールステゥ。エールステゥ・ヴルーヒゥル。えぇと……」

「……オルキヌス・カトゥス、だよ」

「うん。じゃあ宜しくね、オルキ君?」


 名乗り合い笑い合えばエールステゥは魔神へと向き直った。
 さて、とりあえずどう言いくるめてこの魔神も探索者の一員となってもらおうか。そんな事を思いながら。