10日目

 あの後、蒼竜の傷が完全に癒えるまで待った後、一人と一頭は海上へと戻ってきた。

 竜の治癒力は本当に凄まじい。毒素の除去と異物の摘出を行い治癒術をかけたとはいえ、それだけではない勢いでみるみるうちに肉は繋がり皮が張りその上にうっすらと鱗まで生え始めたのだから。まるで上出来な手品か何かを見ているような光景にエールステゥも思わず見惚れてしまったほどだ。
 その傷跡は既に遠目にはわからない程である。ただ、鱗がまだ出来たばかりだからか色素が少し薄く鮮やかな部分がある様子ではあった。判別出来る要素はそのぐらいしかない、とも言えるのだが。

此処に来る時に使った小舟を固定していた廃船にまで辿り着けば、蒼竜は口を開いた。


『ヒトの子よ……重ねて、礼を。我はようやっと、自由になれた』

「良いってばもぅ。……でも良かった。何とかなって。最初、貴方の姿を見たときはどうなるかと思ったもの」

『ククク……すまんな』


 低く笑う蒼竜、その翡翠の瞳をエールステゥは見上げる。


「そういえば、貴方とヴィーズィーは一体……どういう関係なの?」

『ヴィズと我は古い友だ。互いに種も、本来住まう世界すらも異なるが、気が合ってな……今は遠く奥の海に出向いていた筈だ。元より、この地には観光のために来ていたと聞くが、点在する遺跡に興味を惹かれた様子でな。奥の海に出向き既に暫くになる』

「奥の海?」

『汝等の様なヒトの子達が集い、この地の探索を始める事は聞き知っている。アレはそれよりも随分と前に、勝手に其れを始めた物好きだ。……汝もこの世界を探っていくならば、いずれ直接逢う事も出来るやもしれんな』

「そう……」


 あの時、エールステゥに助力を求めた幻影はそんな僻地から届けられたもの……ということか。遺跡に興味があり、竜と交友を持つ、その素顔や性別すら判別出来ない謎の人物。ヴィーズィーと名乗った名すら本当の名なのかどうか。何にせよ謎多き存在である事は間違いない。
 元の世界に戻るための遺跡探索、それ以外に奥地へ赴く理由が出来た事に思案に沈むエールステゥを、蒼竜が口先でつつく。


『ヴィズの名で思い出した。汝に渡さねばならぬものがある。……暫し待つが良い』

「えっ?」


 言うが早いか蒼竜の姿はあっという間に水底へと消えた。鱗の色も相まってか、どのあたりを泳いでいるのかすら海面からでは判別出来ない。巨大な存在が一気に水をかき分けた事で発生した唸りが周囲に半ば水に浸かりつつも浮かぶ廃船群を揺らす。振り落とされないように慌てて近くの船縁に掴まりながら首を傾げる。一体急にどうしたというのか。
 待つこと暫し……蒼竜が海に潜ってから十数分といった所か。ザバ、と水音を立てて再びそのしなやかな身体が姿を現す。一体何事か、と目を丸くして見上げているエールステゥへとその顔が寄せられる。


『受け取るが良い。……古い品ではあるが、効力はまだ生きていよう』


 開かれた口の合間、そこからひとつの丸い物が転がり落ちる。大きさとしては握り拳より幾らか小さいぐらいだろうか。ルビーの様な鮮やかな深紅の宝玉。そこからは強い力の気配を感じる。その気配は、この海全体に満ちるものによく似ていた。
 これはもしかして、いや、もしかしなくとも……


『ヒトの子はスキルストーン……と呼んでいたか。我には無用の長物だが、汝には今、必要なものであろう?』

「な、何でコレを?」

『汝が何を対価に、我を助けに来たかは知っている。アレから伝えがあった、と言ったであろう? ……其れは元より、この地に沈む遺跡のひとつからくすねた物だ。そう言う代物が在る、という知識は前にこの近海をヴィズが調べていた折りに話に聞いていたからな』


 エールステゥは掌の上でスキルストーンを転がす。傷ひとつ無い。確かに、表面に一部張り付いた海草や泥の感じからするとかなりの年月、海の底にあったのであろう様子が窺える。が、中に満ちる力は衰えている様子はなかった。あの紛失した翡翠色のスキルストーンと同種の……それ以上に強い力を感じる。綺麗に磨いて身につければ、きっと役に立つだろう。


「ありがとう。……助かったよ」

『我が何かをした訳ではない。汝の運が、引き寄せた結果であろうよ。……その宝玉も海にただ沈み眠るより、使われた方が良いというものであろう。道具とは使われてこその道具、であるのだからな』

「そうだね。大切に使わせてもらうよ」


 スキルストーンを大事そうに所持していた荷物袋へとしまいこむエールステゥ。
 今度は無くさないように服に固定しようか、等と考え込んでいると蒼竜の声がかかった。


『ヒトの子よ。汝に忠告を幾つかしておこう』

「忠告?」


 怪訝げに眉根を寄せるエールステゥに、静かに蒼竜は頷く。


『汝、我を相手に幾つか術式を扱っていたな? あれはこの地の理とは異なる場のものであろう?』

「え、あ、うん……そう、だけど」


 あの時扱っていた術式は、手に入れた魔導石を媒介に発動出来るように少し改変修正したものだ。緊急で組み上げた付け焼き刃状態の術式だったが……それがどうしたというのか。


『あの様なやり方をしていれば、かなりの負荷が生まれよう。やりつづければ……何れその魔導石は使えぬ様になる事は必須』

「あちゃぁ……やっぱり、そうなんだね」


 自覚はあった。発動する術式に対し、魔力を注いでも反発を強く感じたのだ。それを押し切り無理矢理押し込める形で術式を起動すれば確かに発動し効果は現れた。……が、思った以上に負荷は高かったのかもしれない。少なくとも、人間より感覚が鋭いとはいえ術式の使用者以外にもそれが感じ取れたというのならばこれは大問題だ。


「でもそうなると……参ったなぁ」

『この地に遺された術式を見つけ出し、扱う事を主とせよ。其は、様々な形でこの広き海に散らばっている』

「遺された術式……もしかして、コレ?」



 そう言えば、と荷物袋を漁る。取り出したのは小さな真珠色の石だった。大きさは親指の第一関節ぐらいまでで、鉱物の原石の様に不規則な形状をしている。磨けば綺麗な宝石になりそうでもあるが、何となく其処からは異質な気配をエールステゥは感じ取っていた。それを掌に乗せれば、蒼竜へと差し出して見せる。


「コレ、あのヴィーズィーに貰ったの」




 スキルストーンの工面を対価に、依頼を引き受けたあの時。早速準備をするために踵を返したエールステゥをヴィーズィーは引き止めた。まだ何か伝え忘れでもあるのだろうか、と立ち止まればおもむろに何かを投げつける様な仕草をする。
 いや、仕草どころか……


「わわわっ!?」


 視界の端にキラリと光るものが一瞬あったものだから、エールステゥは慌てて身構えた。間髪入れず、コツン、と何かが頭にぶつかる気配。痛くは無いが一体何を、と落ちてきたソレを反射的に受け止める。乳白色の鉱石にも似た物体を怪訝げに摘むエールステゥに、ヴィーズィーは笑いながら告げたものだ。


「持って行かれよ。……何れ、おぬしの役に立とう。何れ、な」




 あの時は一体何を言い出したのやら、と思ったものだが。
 そのエピソードを聞けば蒼竜はクツクツと笑い声を漏らした。


『ヴィズらしい戯れだな。……しかし確かに、其れは汝の助けとなろう。先程、汝に授けたスキルストーンに其れを触れさせてみるが良い』

「触れさせる……?」


 何が起きるというのか。
 おずおずとした手付きで掌に載せた真紅のスキルストーンに、その鉱石を触れさせた……次の瞬間。


 まばゆい輝きが一瞬、煌めいた。
 目を焼く、とはまさにこの事か。その鮮やかさに思わず目を瞑る。数秒待って目を開ければ、既にそこに輝きは無い。それどころか、触れさせた筈の鉱石が乳白色から墨色へと変わり端から崩れ去っていくのだからエールステゥは驚いたように目を見開く。


『其れもまた、スキルストーン……と呼ばれる。汝の得た、この海で加護を得るための物とは異なるスキルストーンだ。同種ではあるが用途が異なると言えば良いか。赤のスキルストーンが書物ならば、その崩れてしまったスキルストーンは切り離された頁と思えば良い。そうして触れさせる事で、白紙の書物に術式は回収され、刻まれていく事だろう。刻まれる術式が増えればスキルストーンは力を増す。もしも旅の中、見付けることがあるならば……そうして術式を刻んでいく事だ。其れは確実に、汝の力となろう』

「成程……簡易の術式保存端末、って事なのかな? そうやって使うものだったんだね……ありがとう、教えてくれて」


 試しに、魔導石に意識を向けてみる。スキルストーンの内に刻まれた術式を呼び出そうと試みれば、まるで水路に水を流し入れた時の様に抵抗はない。負荷は勿論、必要以上に精神を尖らせずともまるでそういう仕掛けになっているかの様に自動的に術式は組み上げられていく。程無く、何時でも発動できる状態が整うのを感じ取ればエールステゥはため息を付いた。術式が霧散するのを感じながら苦笑する。
 成程、この世界に最適化されたものを扱えばこうなるという事か。これは確かに本来の世界の術式を使うことが馬鹿らしくなる。


「スキルストーン探しも遺跡探索に追加、だね。探せばあるかもしれないって事だよね?」

『うむ』

「遺跡探索の楽しみが増えたと思えば良い……かな。うん」


 前向きに行こう。そう思いながら、エールステゥは廃船に繋いだままだった小舟へと飛び乗った。ギシリ、と揺れる気配を感じながらも船を固定していた縄を解いていく。此処には長居をしすぎた。あまり遅くなっては、小舟を借りた漁師にも申し訳がない。そろそろ退散する潮時だろう、と船出の準備を進める様子を眺める蒼竜は瞳を細め口を開く。


『瞳の扱いにも、気を付けよ。ヒトの子。……其れは本来であるならば、ヒトの身で持つには大き過ぎる力だ』

「そう、だろうね」


 苦々しい声を返すエールステゥ。あの洞窟を出るまでに散々練習をして、意識して目の力を封じる様にはしている。おかげで今は頭痛もしないしこうして話をする余裕はある。周りを見てもどうにかなったりはしない。……が、導火線の付いた爆弾を持ったまま火種からなるべく距離を取ろうとしている時のように安心できないのが現状だ。今すぐにどうにか出来はしないにせよ、何らかの対策を講じる必要はあるだろう。せめて常に意識を張っている必要がない程度には楽がしたい。



「何だってこんな目を持って生まれちゃったんだろう。今回は役に立ったとはいっても、厄介なことに代わりはないもの」

『……、…………』

「?」


 やれやれ、とばかりに半分本気半分冗談といった口調でぼやけば蒼竜は何か言いかけたが敢えて口を噤んだ様だった。その気配を感じ取り、怪訝げに振り返るエールステゥに蒼竜は瞳を伏せる。


『何れ、識る。我が言わずとも……何れ』

「……まあ良いけど」


 相手が相手だ、無理やり聞き出すなんて出来るわけがない。諦め気味にぼやけばエールステゥは小舟の中に置いていた櫂を手に取った。そのまま水面へと差し入れれば慣れた手付きで櫂を漕ぐ。この周辺の海流の流れは少々骨が折れるが、抜けさえすれば後はあっという間だ。流れを見極めながら、船の墓場である海域から遠ざかっていく。


「それじゃあ、私は戻るよ。……今度は海賊に気を付けてね!」

『嗚呼……我とて今回は不覚を取ったが、二度はない。次、出遭ったならば遅れは取らぬさ。汝に良き風が吹く事を。海と共に在れ。さすれば波は常に汝の友となろう。……ヒトの子よ。小さき我が生命の恩人よ。最後に名を聞いても?』

「エールステゥ! エールステゥ・ヴルーヒゥル!! 貴方は?」

『汝の旅路を海の果てで祈ろう…………我は、トゥク・トリ……蒼のトゥク・トリ』


 波を挟んで、言葉を交わす。
 共に笑みを浮かべ、背を向ける。

 また出逢う事は無いだろう事を互いに理解していた。
 これは偶然の出逢いであり、二度同じ道が交差することは無いのだろうから。


「良い旅を!」

『良い旅を』


 その言葉を最後に、一人と一頭はもはや振り返らない。
 後に残されたのは……波の音と、漂う廃船が偶に軋む音だけだった。





※  ※  ※  ※  ※





「……エルゥさん! エールーゥーさん!」

「ひゃわっ!!??」

「どしたのさ、何ボーッとしてた訳?」


 仲間の声に意識は過去から舞い戻る。
 慌てて目を瞬いて見下ろした先、波間に頭にランプを載せたオルキヌスの姿があった。


「何回か呼び掛けたのに無反応でぼんやりしてるしさ。何かあったのかなーって。……大丈夫? もしかして調子悪いとか?」

「ち、違う違う、ちょっと考え事してただけだから……!」


 心配かけてごめんね、と苦笑を返せば少年はソレなら良かったと笑った。
 オルキヌスが差し出してくる手を握れば、船の上へと引っ張り上げてやるエールステゥ。
 びしょ濡れだよ、と犬の子みたいに頭を振って髪の水気を飛ばすオルキヌスへと乾いた布を用意してやりながら思案する。



 ……まだこの話は、仲間には伝えられる気はしない。
 いずれは伝えなければいけないだろう。

 でも、今はまだ。


 エールステゥは大きく深呼吸した。
 胸の奥に潮の香りの強い空気を感じながら目を閉じる。



 今もまた、この海の何処かであの蒼竜は悠々と泳いでいるのだろうか。
 その姿に、想いを馳せながら。