18日目

 遺跡と七つの海からなる領域《テリメイン》。

 幾つか存在する島以外は海原に覆われたこの海域は、既に滅んだ世界だと言われていた。
 実際、文明の名残こそあれどその生き証人にはまだ誰一人出逢えていないからだ。

 その名残とされる遺跡も残されている部分は多くはない。
 少なくとも、何らかの情報が残されている場所はあまりにも少ない現状だ。



 そんな最中。
 炎熱の海《レッドバロン》奥地でやっと見つけた、明確な文明の証。

 それを前にして考古学者が大人しくしている筈も無いのは、説明するまでもなく明らかだった。











「オルキ君!!」

「うわぁ!? 何!? 急に何!? エルゥさん!!??」

「何って遺跡だよ!! 明確な! 文明の名残を残す遺跡!! 灯り! メモ!! 後、規模とかもついでに計測して……石碑の絵柄毎何かに描きつけられたらいいのに……嗚呼もう何だって此処は海なのさっ! もうッ!!」

「えっ!? えっ!!??」

「混乱してる場合じゃないよオルキ君! さあ手伝って今すぐ手伝って!! とりあえずまずは遺跡の大体のサイズ計測から入るよ! この巻き尺持って、向こうの端の角にスタンバイして! そう、そこ……嗚呼行き過ぎ! もっと手前! そう、その角! 動いたらダメだからね!!」

『……、…………病気が発症したのではないかコレは』


 目的不明の謎の敵、シャドウストーカーの襲撃を無事に撃退した訳だがエールステゥの意識はそんな邪魔者から別の物へと速攻移っていた。壁画と二つの台座からなる、どう見ても古代の異物らしき遺跡へ……である。
 いや、正確には遺跡を見付けること自体は既に出来ていたのだが、調べようとした矢先にシャドウストーカー達が襲ってきたからいけないのだ。今直ぐ調査に入りたいのに邪魔をされた、というのはご馳走を目の前にお預けを食らった状態に近い。そんな怒りやら何やらもあってか撃退までの時間はさしてかからなかった。

 そんな訳で目下、邪魔をしそうな存在が居なくなった事でストッパーが外れたのだろう。嗚呼だこうだとオルキヌスに指示を飛ばし手伝わせたりしつつも生き生きとした表情で遺跡の調査に入ったエールステゥに、ランプの魔神がそうぼやいた訳である。



 とはいえ仕方もない話だろう。
 実際今の今まで、此処まで明確に何らかの情報を伝えてきた遺物は見つかっていなかったのだから。

 まあ《アッシュフォードの門》などもあったが、アレは領域を区分けする為の建造物の様にしか見えなかったし、実際に何らかの碑文なり何なりがあった形跡は無かった。その後の《レッドバロン》の各地に点在する遺跡にしてもそれは同様で、流石にそろそろ何か見つかってくれと祈っている様子があった矢先である。
 乾燥した草地に雨が降った後のような、或いは水を得た魚の様なその元気の良さはそれ故なのだろう。


「ふぅ……とりあえずはこんなものかな!」

「………………疲れた」

「もうバテてるの? オルキ君、元気出して出して」

「いや、だって……うぅん、いや、何でもないです」


 結局、オルキヌスが遺跡調査のアシスタントから開放されたのは小一時間ほど経ってからの事だった。壁画や台座のサイズ計測はもちろん、遺物の点在する周辺の簡易地図の作成、遺物の欠片などのサンプル採取、刻まれた紋様や文字の転写作業などなど。一通り網羅した割には短時間で済んだほうだろう。
 ぐったり、と近くに沈んでいた遺跡の柱に寄りかかりつつ呻いている少年を他所に、エールステゥ当人は相変わらず元気そうである。疲れの色が欠片も見えなかった。人間、好きな事に没頭していると疲れを感じない……というのもあながち間違いではないのかもしれない。

 ただしその表情は決して明るい訳ではないのだが。


「この世界にはどういう文明があったのかはまだ未知だけれど、明らかに何らかの災害があったことは確かみたいだね……」

『ふむ……あの壁画の影、か』

「うん。それもただの自然災害とも思えない」


 そう呟きながらエールステゥが見上げる先には壁画の一角がある。
 刻まれているのは、〝大きな影が世界を覆っている絵〟だ。その影は明らかに不気味で、ただの自然災害を表すにしても異質なものに見える。ただの災害の象徴化にしてはその原型の欠片すら見られないからだ。


「自然災害なら普通もっと関連する何かを形で示されるものだよ。わかりやすい象徴として。例えば神の姿であったり、或いは魔物の様なカタチである事が多いけれど……これはそのどっちでもない。大きな影、としか言えない」

『災害による滅亡の危機を示すには漠然としすぎている、と?』

「うん。……まあ勿論、それだけじゃないけどね。理由は」

「…………もしかして」


 聞こえた声にエールステゥは振り返る。先程まで一休みしていたオルキヌスの視線がそこにはあった。彼は、エールステゥを……いや、その後方に望む事が出来る壁画を見上げているようだった。


「さっきのあの〝影〟が関係ある、って思ってる? エルゥさん」

「うん。ご明察。……あの〝影〟は、私の見間違いじゃないならば確かにこの壁画の影が実体化するように出現した。決して、無関係じゃないはず。……まあ流石に、壁画に書かれた時代に存在した〝影そのもの〟なのか、それともその影が残した力の残滓なのかまでは判断出来ないけどね。情報が足りなさすぎるもの」

「そういえばあの影、我の邪魔がどうとか言ってたっけ」

『それに、大陸の勇者とも口走っていたな……面妖な。アレは一体何者だ?』


 ランプの魔神なんて得体の知れない存在にそこまで言われる影もどうなのだろう。淡い微苦笑を覗かせながらもエールステゥは、次の壁画へと視線を向けた。
 影から漏れた七つの光。その光から誕生したらしき七つの武器。そして、その七つの武器を持った者が大きな影に立ち向かう姿。抽象的ながらも読み取れるそこからは、大きな争いの残滓を感じ取れる気がする。


「さて……何だろうね。少なくとも恨みを向けられるだけの何者かが嘗てこの海にはいて、彼らは確かに〝影〟を祓ったって事なんだろうけど」


 エールステゥが見つめる先には、影が石になりバラバラに崩壊する壁画がある。過去、世界を覆った厄災の原因は確かに打ち倒されたという事なのだろう。そうでなければ、こんな壁画が残される事自体がおかしいではないか。
 しかしそれならば、先程自分達を襲ってきた〝影〟は何だというのか?


「大陸、かぁ。……この海、島こそ少しはあるけれど大陸なんて言われる様な代物、見当たらないのにね」


 ただの滅び去った海と遺跡を探索し、帰還方法を見つけ出すための旅。しかし、それだけで終わらせるには既に不穏の影がチラホラと姿を現し始めている気がする。それがこのテリメイン全ての海域を巻き込む嵐となるのか、それともただの通り雨になるのか、現在のエールステゥ達には判断できるだけの材料がないのだ。
 淡く輝きを宿す二つの台座を見下ろしながら、エールステゥはため息を落とした。コポリ、と小さな気泡が紅の海面に登っていくのを見上げながら呟く。


「謎の敵対的な影に、勇者に、大陸に、七つの武具…………浪漫と言えば浪漫だけど、物騒なのは勘弁してほしいなぁ……」


 とはいえ、ザワリと胸中にざわめく微かな悪寒は覚えのあるものだ。狩人としての長い時間と冒険者としての短くはない時間、数多の危機を潜り抜け生死の狭間を生き抜いてきた者特有の勘が告げている。この程度で終わる訳がない。きっとこの後も、何かがある……と。
 逃げ出せないならば、出来る事など限られている。その事実だけわかっていれば、今はいい。





「とりあえず、目下の問題は次の行き先だよね」


 先の見えない疑問を片付けられないならば、直近の問題を片付けてしまおう。
 うん、と頷けばエールステゥは仲間を見回した。

 金の視線が問うている。
 さあ、どちらを選ぶ?



「……、……エルゥさん。そんな目、してるけどさ」

「うん」

「どうせ決まってるよね? 殆ど、行き先」

「うん」

『…………遺跡か』

「二人とも目的地がないなら、だけどね」

「確かに、コレといって無いけどさぁ!?」

「じゃあ遺跡決定だね!」

『…………やれやれ』


 呆れたようにランプの蓋をカタリと魔神は揺らす。

 わりと普段がまともそうなだけに、このギャップは致命的なのでは。
 それを指摘しないのが優しさからなのか諦めからなのか、それは誰にもわからなかった。