蒼の軌跡に導かれる様に、遺跡群の奥へと泳いでいくエールステゥ。
勿論警戒は解くことはなく、細心の注意を払いながら……だ。なんといっても今は単独行動中。下手に動けなくなってしまっても仲間に助力を願うのは難しい。それに、現在進行形で暗示を解いて使用中の左目の力も長くは使えない。
「……やっぱりコレ、負荷が強い……ッ」
顔を歪め眉根を寄せてエールステゥは呟いた。
頭痛が酷い。視界が偶に霞む。何日も徹夜した朝の様なこの気持の悪さ。全ては左目の力を使ったからこそだろう。その不快感は、時間が経過するに従って酷くなっている。早く、軌跡の根源を突き止めなければ。
この時ばかりは精霊の加護が最低限しか得られない現所が恨めしい。これが本来の世界であったならば、今頃そう苦労もせずに最奥へとたどり着けられていただろうに。残念ながら今は水精霊の助力は得られない。この世界で、水を司る精霊を見つけて契約できれば話は別なのだろうが……無いものをねだった所でどうしようもないのが現状である。
やれやれ、とため息を付いてエールステゥは手足で水を掻き分け奥へ進んだ。スキルストーンの助力があっても体力はいやでも使う。既に体の末端は鈍い重さを感じている現状、今日はあまり長くの探索は難しそうだ。
「…………にしても、どこまで続くんだろうこの軌跡」
魚も殆ど居ない周囲の様子を伺いながらもポツリとエールステゥは言葉を落とす。辺りは既にかなり薄暗い。遺跡群の奥まった部分へ入り込んでいるせいか、海上からの陽の光がろくに届かないのだ。水の温度もひんやりと冷え込み始めている。生き物の姿がまばらなのもこのせいだろうか、と思いながらも周囲の壁面に手を触れた。
海中にあるにもかかわらずこの遺跡の劣化は最低限な様子である。まあそうでなければこうして触れただけでボロリと崩れた事だろう。硬い壁の感触。これは人造物……なのだろうが、形状的に自然物とも思えないが、もしも人造物だったとしてこんなものを築けるのは一体どれほどの文明なのだろうと目を見張るしかない。
エールステゥの暮らす世界の文明は、ココまでは高くないのだ。確かに高層建築も無くはないが、それは塔や城といった程度のものだ。島を丸々覆うほどの巨大な建築物は、少なくとも古代遺跡以外で見かけたことなどありはしない。
だからこそ不思議ではある。コレほどまでに高度な文明を滅ぼしたモノの存在とは一体何だったのだろうか。かつて暮らしていただろう何者かの気配すら既に薄い遺跡を泳ぎながら、エールステゥはそんなコトに思いを馳せていた。
※ ※ ※ ※ ※
そうして泳ぎ続けてどれ程時間がたっただろうか。そう長くはない筈なのだが、その感覚は曖昧だった。それもコレも左目の力を開放し続けているせいだろう。情報を選別するその疲労感は、確かにエールステゥから時間感覚という重要な要素を削り続けている。
それでも長年の勘からまだ数十分程度だろうと判断しながらも周囲を見回した視線の先、ふつりと蒼の軌跡が途切れた場所が見えた。大きな扉だ。指が差し込める程度の細い隙間が開いている。その奥へと軌跡は続いているのを確認すれば、エールステゥは一旦、瞳へと暗示をかけ直した。これ以上継続するのは危険だと判断したのだ。
「とりあえず、中の様子を確認して……それからだね。まだ奥に続くようなら、この場所をマーキングしてから一旦戻ったほうが良いだろうし」
疲労度からしてもこのあたりが限界だろう。痛む頭を軽く振って眼前を見た。扉の隙間から奥を窺う。
覗いた先は当然ながら明かりも何もなくて暗かった。エールステゥの手に持っていた水中用のランタンの光が無かったら、もしかしたら真っ暗だったかもしれない……と思わせる程度には暗い。遺跡の各所は不思議な輝きを放っている場所も多いのだがこの近辺はそうでもないらしい。
気配を窺うが何かが潜んでいる様な様子は感じられなかった。物音ひとつ、水のゆらぎすら殆ど無いに等しいのである。もっとも、遺跡の防衛機構なり何なりがあったならば気配などとは無縁の仕掛けだ。幾ら部屋の外から様子をうかがった所で無意味なのだろうが。
扉の隙間に指先をかける。ぐ、と引いてみるが長いこと動かしていなかった弊害なのか。それとも遺跡の各所が長年の経年劣化で歪んでいるのか、なかなか動いてくれない。ただそれでも、力を込めればギシギシと揺れるので開かない訳では無さそうだ。
海中はただでさえ踏ん張りにくい場所である。舌打ちを落としながらそれでも何とか体勢を整えてエールステゥは渾身の力を両腕にかけ、扉を引いた。
ギ……ギギ、ギギギギギ……
軋む扉。周囲に積もっていたマリンスノーを微かに舞い上げながら、ひと一人ぐらいは通れそうな隙間が開く。大柄なものなら厳しいが、エールステゥ程度の体格ならば何とか通れる……といったぐらいのものだが。
「……ちょっと胸元がキツイけど……なんとかなる、かな!?」
ギリギリの隙間に身体をねじ込んで中へと踏み込んだ。中の海水は幾分濁っている様子で、慌てて荷物袋から薄手の布を取り出した。細長いそれを口元に巻きつけるようにして固定する。直接この海中の水と口元が触れないようにという配慮だ。
スキルストーンの加護があるとはいえ、現状どういう風に息が続いているのかは謎めいている。水を吸い込んでいる、という事はなさそうだが……かと言って、正直あまり長居するべき場所とはいえないだろう。長時間いれば、体調を崩しそうな気がしないでもない。
早く帰還するためにもエールステゥはカンテラを手に部屋の調査を始めた。
何て事もないただの小部屋、といった感じの場所だ。扉は先程エールステゥが侵入した場所の一つだけで窓はなく、故にやたらと暗い。カンテラで照らし出した天井付近には何らかの照明器具らしきものが見受けられた。壁には一部、大きな亀裂が開いている。その向こうからは部屋の外が少しだけ覗けたが、ソコもまた遺跡群の奥深くだからかやはり薄暗いせいで周囲の様子をさっぱり分からなかった。
「ん……コレは……」
降り積もったマリンスノーを軽くかき分けて床面を調べていたエールステゥは怪訝げな声を漏らす。床の一部に違和感があったのだ。他の部分はほぼ真っ平らだというのに、その部分だけ変に一部凹んでいる気がする。ほんの薄っすらとではあるのだが。
「何かココに……嵌まり込んでる?」
指をかけて引っ張り出せるかとも思ったが、さすがに隙間は狭く不可能そうである。
「ふむ……もしかして仕掛けでもあるのかな」
エールステゥの世界の古代遺跡でも、壁や別の場所にある仕掛けを操作すると出現する扉や機構、と言ったものは少なくはない。これもその類だろうかと壁面を詳しく調べてみると壁に埋め込まれるように何らかの操作パネルらしきものが見つかった。
蓋が壁と一体化していてパッと見では気づけなかったが、触れるとその蓋が開くタイプのもので中には幾つかの四角いボタンがある。それぞれのボタンには印らしきものが刻まれていた。
「丸の刻まれたボタンが一つと、三角が刻まれたボタンが二つ……ふむ」
試しに丸が刻まれた方を押し込んでみる。
無言で、待つ事数秒。
……ゴゥン……
低い音と、微かな振動。
同時に、周囲で魔力の気配が渦巻いた。
「……コレ、は……」
何か起きるだろうか、と身構えていたがしかし周囲に変化は無かった。魔力の気配は感じるが、ソレ以上の明確な変化は周囲に見られない。てっきり、この床の何かが動くのだろうかと予測していたのだが。
そう単純な仕掛けでもないのだろうか、とため息をつくエールステゥ。しかし、先程触れたパネルの方を見てハッと目を見開く。あの図形らしきものが刻まれたボタン、その彫り込まれた図形そのものが淡い輝きを灯していたのだ。どうやら刻まれたその底面部分に透明な部品がはめ込まれており、それが発光しているらしい。
「さすがにコレは見ただけじゃわからなかったね。……でもこの様子だと、どうやら起動は成功してるのかな……?」
ここに輝きが灯っているという事は、何らかの仕掛けが動いていると見て間違いないだろう。エールステゥは慎重に周囲を見回しながらも、ボタンのうちの一つ……上向きの三角が刻まれたボタンを押してみた。
すると、
……ズズズズズズズズズ……
地鳴りの様な、或いは何か重いものを引きずるような音が周囲に響く。マリンスノーを巻き上げて、床面の一部が上へ上へとせり上がってきた。それは四角いリングにも似た構造物だ。底面と同じ素材で作られた様子のその表面には無数の紋様が刻まれ、全体から濃密な魔力の気配を感じる。
それはあの、このテリメインに跳ばされた際に潜った『門』にとても良く似ている構造物だった。それに感じる魔力の質もとても似通っている。全く同じモノ、とは言わないが同系統の遺物と思って間違いないだろう。……しかし、だというのにエールステゥは険しい顔でそのリングを見て眉根を寄せる。
「コレ……もしかして、壊れている?」
金の瞳が見つめる先。リングの一部が大きく抉れる様に欠けているのだ。それはリング外縁の下方の部分で、床にしまい込まれていた時には見えなかった損傷だった。せり上がってきた溝を覗き込めば、割れて落ちた欠片だろう物体が薄暗い中にも確かに確認出来る。
地殻変動なり何なりの際に、ぶつかるかして壊れてしまったのかもしれない。魔力の気配こそするが、正しい形に収束せずに端から霧散していく気配からしてもどうやら遺跡の機構は完全に壊れている様だった。
せっかくあの『門』と似通った遺物を発見したというのに、壊れてしまっていてはその機構を調べるにしても正確性は低いと言わざるをえない。今更ながらに疲労感が戻ってきて、エールステゥは部屋の天井を仰いだ。
やっと元の世界に帰るための手がかりを見つけたと思ったらコレだ。世の中なかなか上手く行ってくれない。嗚呼、と呻き声が落とされようとした……
…――まさに、その時だった。
『ようやっと此処まで辿り着いたかぇ。……随分と長くかかったのぅ?』
聞き覚えのある、くぐもった声が聞こえてきたのは。