31日目

 じんわりとした不快な熱を眩い輝きに乗せて浴びせてくるこの海域、サンセットオーシャン。しかしその本質はどこまで行こうと海だ。海水そのものが沸騰していたあのレッドバロンならばともかく、この付近の海域の海水温は然程ではない。
 潜れば自然と身体は海水の循環にさらされるものだ。体温よりは低いソレは、普通の海より格段に遅い速度でもって潜水する地上の生き物の体力を奪い取っていく。それは、色々と異質なこのテリメインにおいても当然の自然の摂理であった。


 だから、という訳でもないのだろうが。

 何時もより冷え、重みを増したような身体を引きずる様にしてエールステゥは水を掻く。片手では金のランプ。もう片方では漁師の少年を抱え、目指すは水面に停泊させていた漁船へと急いだ。


「……ッ」


 スキルストーンの力を借りてすら、既にその動きは鈍い。その一番の原因は疲労であり、ソレに次ぐ原因は決して軽くはない怪我のせいであった。出血こそ浅いが、それでも流血は嫌でも体力を削ぐ。
 意識をじわりじわりと侵蝕している眠気を振り払い、唇を強く噛んで意識を保てばエールステゥは一際強く水を蹴った。最後のひと押しを受けて、水面へと辿り着けば、ぐったりとした仲間を船へと押し上げて自らもまた這い上がり……そして、荒い息をつく。力が抜ける。船底に身を横たえたい衝動に駆られつつも、何とか手を掲げた。


「……四点繋ぎて、定むは蒼の場……命の海よ、場に満ちよ……傷付きし者達に、光を指し示さん……ッ」


 エールステゥと金のランプ、オルキヌスの三者を囲むように輝きが奔る。正方形を形作ったその方陣は、四点が結ばれたと同時に複雑な文様を浮かび上がらせる。足元から溢れ出る蒼光は、触れた先から全身に残る傷跡を消し去っていく。
 その間、およそ十数秒。出現と同じように唐突にふつりと輝きは消え失せて、腕を降ろしたエールステゥは大きなため息をついた。


「…………参ったねぇ」


 此処に来て、遺跡のある海域に棲息しているのだろう原生生物らしき者達に負けてしまったのである。命こそ無事だったがこうして一次撤退しなければいけない現状は、最前線を常に進んでいた身としては少々痛い代償だ。何にせよ、想定していたよりも厄介な存在だったという事である。次の行路も同じ海域に向かう予定だったが、正直厳しいかもしれない。


「火力担当が落ちちゃったら、まあ、こうなるのも仕方はないね……」


 元々この海域と体質が合わないらしく、エールステゥやランプの魔神よりも海中探索で苦労していたオルキヌスを見遣る。怪我も癒えたことで痛みが失せ疲労が勝ったのか、一足お先に夢の世界に旅立っている。ランプの魔神は魔神で静かな様子を見れば、安全な場に戻ったことでランプの中で休息に入ったのかもしれない。
 何にせよ、無事だった仲間を見れば多少気持ちは安心した。そして、申し訳無さが去来する。


 最後の最後まで残った自分が、障害を排除できたならば良かったのだが。……本来の世界ならば攻守共に果たせる実力を少なくとも持ち得ていた自信はあったが、このテリメインでは使える筈の技能の殆どが封じられている。
 旅を始めた当初からすれば、手に入れたスキルストーンを上手く活用して使える技を増やせていたとはいえ、その殆どは敵を妨害するものや味方を助けるものでどちらかと言えば現状の立ち位置は補助的なものである。後ろから二人を手助けするには良いが、直接敵と対峙しぶつかり合うには力不足が否めない。

 これが本来の世界ならば……そう、エールステゥは思わずにはいられなかった。出来る事が出来ない、と言うのは悔しいし歯痒いものである。この実力的な問題が努力だけで覆せるものでもない現状、慎重に策を考えなければ先に進むのは難しいだろう。


「……まぁ……でも、今はとにかく……」


 思考がカラカラと空回りを始めたのを感じて、これ以上は無駄だと判断したエールステゥは瞳を伏せた。そのまま、倒れ込むようにして船底に身を転がす。木板の感触がどこか心地よい。その下の、波の揺らぎを感じる様で。







「眠って……休まないと…………」


 呟く。

 探索をこの程度で諦める訳にはいかない。だからこそ今は英気を養う時だ。
 本当ならば身体を拭いて髪を洗って身を清めてから眠りたかったが、眠気は限界まで来ている。起きたらきっと髪や身体がキシキシして気持ちが悪い事になりそうだ。その事を自覚し即座に諦めつつ目を閉じる。


 チャプ、チャプ……静かに漁船を揺らす波音を、子守唄に聞きながら。
 その意識はあっという間に、闇に沈んだ。