39日目

 闇の中に輝きが満ちている。
 海中遺跡は今、眩いばかりの蒼光に包まれていた。

 海上の遥か高みには満月が浮かび眼下の全てを照らし出している。同時に、海中からは遺跡と周囲の海底に刻まれた紋様が明るく周囲を輝かせていた。上下から差し込む光にまるで今いる場所は昼間のように、とまではいかないまでもかなりの明るさで、普段の夜の海との格差にさすがのガルムも呆然と場を見るしか出来無い。


「いやァ、さすがに想定はしてたが……満月ともなると激しいモノだネッ!!」

「しかしこの具合ナラ、予測していたダケの魔力量を十分に確保デキる筈だヨ」


 すっかり慣れた様子で精霊術の加護を得ると海中に飛び込む三人。魔力の流れなど見えもしないが、それでも鳥肌が立つような気配が海の底から滲み出していて思わずガルムは唾を飲んだ。妙な威圧感と言うか、圧迫感があるのだ。このまま潜るよりは、さっさと海の底から退散したい気分になる。
 一番近いのは、正体不明の強力な魔物が潜むと言われる視界も非常に悪い森の只中に、装備もなしに放り出された感じ……だろうか。自分自身に対しても、周囲に対しても不安が拭えない嫌な気分の時に近い。


 魔力関係の事はさっぱりわからないにしてもコレだけ感じ取れるのだから、前の二人はどうなのか……とガルムは様子を窺った。正直な話、体調でも悪くされたら大問題なのだ。本格的に二人の力が必要なのはこれからなので。
 が、心配は杞憂だった。片やルイは素っ頓狂な音色の鼻歌を歌っているし、ヒプノスはヒプノスでブツブツと何やら独り言を延々とこぼしている。つまり、何時も通りで、大丈夫という事だ。……これが大丈夫と言って良い状態なのかと問われると厳しいモノはあるのだが、何にせよ通常運転である事に間違いはない。悩ましい話だが。


 遺跡への侵入は問題なく行われた。既にガーディアンの類は取り除いていたし、研究の為もあって用意された魔物払いの結界はしっかりと機能し続けている。おかげで周囲を漂うのは海中遺跡を良い避難場所か或いは魚礁と勘違いしている海中生物たちだけだ。ほぼ無害(偶に有害なのもいる。ウミヘビとか毒を持った魚や貝なんかがそうだ)なそれらを片手で払いながら、奥へと進む。
 満月ではないタイミングで中を覗いたことはあるが、あの時よりも更に周囲は騒がしい。音声こそ鳴り響いたりしないが、それでもチカチカと様々な光が明滅し瞬いている。この全てが海域の情報やらその他の必要な諸々を現しているのだ……などと得意げにヒプノスが語る言葉が聞こえたが、その殆どは言語として認識されなかった。そんな事より気になるものがあったからだ。







「何か……さっきから微かに振動してねぇか? この遺跡」

「振動ッ? ソレは本当かねッ??」

「ボクらは特に感じてないガ……まあキミはその辺りの勘というか感覚は、野生じみているしネ……」


 二人揃って訝しげな顔をしたルイとヒプノスが、顔を見合わせた後で何やら魔術を使って調査を始めたのを横目に、ガルムは改めて意識を研ぎ澄ませる。海中に浮遊しながらも、肌に接した水へと神経を通すようなイメージで瞳を閉じた。震えを感じる。ほんの微かな、自分でもよく気づけたなと思う程度に小さな振動。
 確認の為にも、軽く姿勢を整えて真下の床(と言ってもこの遺跡は現在仰向けに倒れている状態らしいので、此処は壁面の一部なのだが)に足をぺたりと付けてみる。足の裏には確かな振動があった。遺跡そのものが奮えているのだ。


「この遺跡自体が動いてるっぽいな……」

「振動源は『門』の様だねッ」

「魔力濃度の最高値を叩き出しているのもソコみたいだヨ。……コレは、あの部屋に入るナラ気をつけた方が良いかもダネ」

「そうだな……エルゥの奴も、コイツを放り出す羽目になる程度の事が起きてんだろうしな」


 腰元の魔剣に手をやれば、ジリッと熱を感じてガルムは眉根を顰めた。……前に触れた時も熱の気配はあったが今はソレ以上だ。というか熱い。何だこれは、と再び指を柄に這わせる。触れられない程ではないが、確かに火竜の一部から生まれたという魔剣は熱を発していた。まるで何かに反応するかのように。


「こりゃあ……ろくでもネェ事が待ってそうだな……」

「不吉なコト言うのはやめて欲しいンだケド?」


 ヒプノスに睨まれてガルムは首を竦めた。何か反論すれば更なる嫌味が飛んでくることは嫌というほど理解している。なので、へいへいと生返事を返しつつも最奥の部屋を目指した。



※  ※  ※  ※  ※



 ルカーディア曰く、この遺跡には特にまだ名前は決まっていないらしい。多分、アンブロシア海中遺跡群とかそういう適当な名前になると思いますよ、と相変わらず胡散臭い笑顔でにこにこと語っていたが。何れ、何らかの論文の発表とともに世に広く知られることとなるのだろう。そんなどうでもいい事を考えながら、ガルムは進む。

 此処に潜ってもう暫くになる。エールステゥと地図を作るために調査したコトもあれば、ヒプノス達の調べ物に付き合ってという場合もあった。既に頭の中には形成されている地図を引っ張り出してガルムは現在位置を確認した。
 この遺跡、状態こそなかなかに異質な現状(何と言っても入り口が海面に向く形に遺跡がずり落ちている)にあるが規模としてはさほどに大きくはない。入り口から最奥まで何層かに分かれているが迷うほどの枝分かれはなく、一本道と変わらない程の単純さだった。さしたる時間もかからず最奥の部屋へは辿り着ける。

 ……いや、辿り着ける筈なのだ。本来ならば、


「……気付いたか?」

「うむッ」

「だから余計なコト言うなってボクは言ったンだヨ……」


 三者三様に顔を顰める。壁面に刻まれたものや、浮かび上がる紋様の鮮やかな輝き。それらに照らされる通路は、何一つ変わりを見せない。まるで、同じ通路を延々と繰り返しているかの様に。


「何時からだ?」

「キミが振動を感知して少しして、ぐらいダネ……ソレまでは普通だったハズ」

「今まで何度も潜ったが、その時に仕掛けは全部無効化したハズなんだがねッ?」

「魔力量がなくて起動してなくて見逃してた、とかそういうオチじゃねーだろーな?」

「いやァ、そう言う類の罠では無い気配がするよッ! コレは遺跡本来の仕掛けというよりは……」

「誰かが仕掛けたシロモノ……だネ」

「一体誰が、何の目的で」

「……サァ?」


 問うガルムへ、ヒプノスが心底嫌そうな顔で肩を竦めて見せる。


「ココを一時的に封鎖してイイコトがあるとするなら……マァ、あの『門』を先に使いたい、トカそういうのカナ?」

「確かに、月の魔力による補助があるとは言え『門』の起動が可能なのは一晩一度が限度だろうからねッ! 先に誰かがそれで〝跳ぶ〟可能性は否定出来ないかなッ!」

「だとして……それならココまで潜られる前に迷わせたらイイだけの話ダヨ。まだ夜も更け始めたばかりダシ? 一晩中ボク達をココに閉じ込める、なんていうのはどうにも非効率的に過ぎるトハ、思わないじゃないネ」

「となると……考えられるのは一時的な時間稼ぎ、か。純粋な」


 一体誰が、何の為に?
 想定外の事態を打開すべく思案を巡らせつつもガルムは眉根を寄せたのだった。