40日目

 ぐるぐる、ぐるぐる。
 変わらぬ視界はそれだけで退屈である。


「飽きた」

「飽きるの早すぎダロ、キミって奴はこれダカラ……」


 うんざりした顔でぼやいたガルムに、これまたうんざりした顔で返すヒプノス。通路のループ現象に気付いてから、もう数十分が経っていた。三人は通路をうろつきながらそれぞれにこの現象の起点となる場所を探している。幸いなことにバラバラに行動しても見知らぬ空間に放り出されたりなどはしなかった……のだがどうにも事態は芳しくない。


「まッ、ガルムが飽きるのもわからないじゃないさッ! 正直な話、私も飽きそうでねッ!!」

「頭脳労働出来るのはキミとボクだけなんダカラ、飽きられたら困るッテノ!」

「しかしねぇ……もう我々に出来る事はあらかたやり尽くした様なモンじゃないかいッ?」

「それは……否定出来ない……ケド」


 思わぬ正論に黙り込むヒプノス。
 実際、既に出来る限りの調査は全てしている。目視で隅々まで確認はしたし、手で触れての検査などは壁も床も平等に行った。妖しい魔力反応のある場所や、或いは遺跡内部の透視検査も行った。しかし、どの検査でも異常だという現実が判るだけでその原因らしきものが何なのかは特定できていないのが現状だった。


「何かよぉ……こう、ほんの少しもねぇのかよ妖しいとこは???」

「あったらとうの昔に言ってるサ……」

「このまま閉じ込められ続けるという事は無いと思うんだがねッ!!」


 こちらを窒息死でもさせようというのならば話は別だが、などと不吉な事を言うルイを殴って黙らせつつもガルムは再度周囲を見回した。光の奔る壁も、床も、何もかもがもう見慣れすぎて困った通路である。ピコピコと光が明滅したりする程度の違いはアレど、ループの境目すら判別できないとなると随分と相手は高位の魔術師なのだろう。少なくとも、この横でぐだっている二人を出し抜ける程度には。
 ルイ曰く、保持している魔力の容量的にまだ余裕はあるらしい。定期的に生存の為に精霊術を使うとしても、少なくとも3日ほどは平気だという。とはいえ、それほど長く水も食料もろくに食べられない状態(何と言っても海中だ)で居続ければ精神力も尽きてくるだろう。呼吸が確保できていても、環境があまりに悪すぎる。

 かといって引き返す事を狙っての罠でもないのは既に明らかだ。前に進もうが後ろに進もうが、常に同じ通路が続くのだから。このままでは擬似的な兵糧攻めで三人揃って海の藻屑になりかねない。


「ったく、悪質だな……俺にも魔力の流れが見えりゃあなぁ……魔術関連はさっぱりから、そっち方面じゃ何も出来ねぇのがイライラするぜ」

「マズ見えた所でキミが魔力の云々を理解できるトハ思えないケドネ」

「それに、多分今回は見えてもあまり関係ないネッ! 怪しい魔力の動きがサッパリ見当たらないんだから参ったものさッ!」

「ぁ……? マジかよ……」


 眉間にシワを寄せてガルムはため息をつく。


「んじゃコレ、魔術とかが絡まねぇ仕掛けってことか?」

「んんッ?」

「イヤ……さすがにコレ程の精度の異質な空間を魔力もナシに制御するっていうノハ……聞いたコトが無いネ……」

「……でも着眼点は悪くないかもしれないよッ。魔力ではなく別の、何らかの事象でこの場が歪んでいるとすれば……」

「ルイ……? キミ、本気で考えてるノ?」

「本気も本気だともッ! 現状異質な魔力は検出されず、しかし確実にギミックはない……ならば可能性は唯一つだねッ!」


 言うが早いか、何時もうるさい吟遊詩人は手元の竪琴をかき鳴らす。美しい旋律が響き渡れば周囲に不可思議な気配が満ちて集い、それは人型に近い乙女の姿と化した。水の精霊でも代表的な存在、水乙女《ウィンディーネ》だ。
 ルイは呼び寄せたその精霊にニ、三、何らかの指示を与えて解き放つ。あっという間に水と同化して姿が消え失せた精霊が何処に行ったのかと探すように周囲を見回しながらガルムは問うた。


「お前……何しようとしてンだ?」

「なぁに簡単な調査だよッ。彼女らは水の化身。水に関して言えば、我々などより細やかな変化にも敏感なハズさッ! その彼女らに水の流れのおかしい場所を探してもらっている所だよッ!!

「水の流れ……何でまたそんな今更な……流石に仕掛けがありゃあわかるぞ?」

「! ナルホド、つまり魔力で擬似的に空間を繋げているのではなく、物理的に歪められていると言うコトか……迂闊ダッタネ!」

「……ぁ????」

「基本的に魔術を使っての空間制御は余程でなければ痕跡が残るのさッ。しかしそれはない……魔力量の変化すら殆ど無いぐらいだからねッ! でも、物理的に捻じ曲げられているとすればまた別の痕跡が残るッ!」

「水の流れサ。通路の変化前と変化後デハ、きっと些細とは言え目立つ変化は否めナイ」

「勿論、我々はそんな技術なり技能に覚えはないッ! でも、現実それが本当に成されているのならば〝ある〟という事さッ! そういうやり方がねッ! 故にッ!


 水しぶきのような細やかな音がして再び水乙女が姿を現す。あっちだ、と言うように小さな手を伸ばす先には何の変哲もない海中の通路が見えた。目視では何らおかしい所は見られない。が、しかし、精霊の感覚は鋭敏だ。
 とりあえず何が起きても良いようにと術士二人を後ろに回し、ガルムは腰に刺していた短剣の柄を握りながら示された場所へと手を伸ばす。


 その瞬間だった。




《見破ったか。想定よりも早かったが》







 ノイズ混じりの、低い男の声だった。
 バシン、と何かが破裂したような音がする。目を見開けば、眼前に揺らめく影。


「──ンのやろ……ッ!!」


 反射的に刃を繰り出す。しかし、それはただ水の流れを切り裂いただけだった。何かを貫いた感触すら無く、思わずつんのめるガルム。影は既に眼前はなく、慌てて腕と足のひとかきで振り返りながら海中での体勢を整え直す。
 前に出たガルムと、後方に居た術士二人の中間地点。そこに影はあった。仄かに光り輝く周囲に囲まれても尚、闇が凝っている様な不可思議な気配で姿はあまり見えない。あまりにも怪しかった。そのうえ、回り込まれた気配も無しに背後をとられた形になるガルムは不機嫌げに顔を歪める。


「くっそ……変な技使いやがって……!」

「空間閉鎖の解除を確認したよッ! ……この御仁がどうも原因だったのかなッ?」

「気配が薄すぎるネ……キミ、もしかしてこの場には居ないんじゃナイ?」

《ご明察。なかなか判断力は確かな様子だ。事態の変容にも動じていない……と》


 含み笑う声。
 どうにも気に入らない気配を感じて、ガルムは影を睨み据えた。


「……テメェ、何者だ?」

《さて、どう答えたべきか》


 殺気すら込めた問いを、しかし相手は気にする様子もなく小首を傾げた。
 沈黙は数秒。おもむろに口を開く。


《お前たちを滅びた海に渡らせぬ為の刺客……とでも言っておこうか》


 無造作に告げられたのは、あまりにも明確な敵対宣言であった。